高校退学後に生まれるいくつもの始まり

暑い夏の日の午後。
広い田園に建つ、誰の目にも映らない古い納屋。

それは焼け落ちる。
煙が空に吸い込まれ、消える。
ぼくはそれを見守っている。

 

15才の春休み。

中学校を卒業したぼくは、コペンハーゲンにいた。
父の仕事の関係で、ヨーロッパの農業視察に同行させてもらったのだ。

英語は、まったく分からなかった。
受験に合格するためだけの中学英語は、やはり、全く通用しなかった。

 

でも、身体の底からワクワクした。

 

もっと英語を吸収したい。
そして世界のことを、もっと知りたい。

 

そうして、11日間のヨーロッパ旅行が終わった。

 

そのときは、知らなかった。
数週間後、自分が高校を退学しているということを。

ぼくは7日間、高校に通い、8日目に登校を辞め、数ヶ月後、退学届けを出した。

 

「学校には行ったほうがいいです」
と伊藤さんは言った。
伊藤さんは、同じ中学校で一番賢い、すぐ顔が赤くなる女性だった。

「とものり、なにしてんの?」
と大友が言った。
大友は、勉強は苦手だが、柔道の県大会で活躍するような、現実的な男だった。

かつての同級生が地元の高校に通う間、ぼくはひとり、家で本を読んで過ごした。
そして、その年の秋、全寮制の高校を受験して、合格し、実家を出た。

 

 

3年間の寮生活が始まる。

「おい、とものり、お前、おもしろい奴だな。でも、お前、大丈夫か?」
と、同級生のたけちゃんは言った。

たけちゃんも同じように、家族の責任を背負った男だった。

 

 

問題の解決には、なにより時間が必要だった。

なぜなら、幼少期からのストレス環境に適応した結果、思考機能と記憶機能が壊れていたから。

 

またぼくは「両親の家業を継ぐ」という決断をしていた。
本当の自分の意志に反していることを、誰よりも理解した上で。

 

 

15才のぼくには、「ひとりで何とかしなければいけないもの」が多すぎた。
あらゆる矛盾を「自覚的な怒り」として認識し、それと併存しようと試みていた。

禅の本を読み、
哲学書を読み、
玄米食を実践し、
呼吸法を学んだ。

 

精神と体と呼吸のコントロール。

 

あるとき、一年先輩の安森さんが、男子寮のミーティング室で言った。

「島津って、屁すんの?」

全員が大声で笑った。
先生までも。

ぼくは

「はい。しますよ」

と答えようとした。

でも、愛嬌のある安森さんは、顔をまっ赤にして、友人と笑いながら、どこかへ行ってしまった。
結局、安森さんは、それを言いたかっただけで、ぼくと話したかったわけではないのだ。

 

そんなふうに、ぼくは、どこにも属さず、親密な人間関係を通り過ぎていた。

 

晴れた土曜日の午後。
ぼくとたけちゃんが歩いていると、見かけない車が学校にやってきた。

車は、スピードを落とし、そのままゆっくり、学校の玄関の木に衝突した。

ドスン。

木の葉が落ちる。
ドアが開く。
髪の長い女性が現れる。

「ちょっと君たち、助けてくれる?」

それが、小泉先生との出会いだった。

小泉先生は、よく笑い、よくしゃべる30代の女性。
アメリカの大学に留学し、英語と音楽と聖書を学んできたばかりだった。

彼女の周りには、常に生徒が集まった。

そして、10代後半の難しい時期の男女が悩むことに、耳を澄ませていた。

 

ある日、小泉先生は聖書の授業で、旧約聖書の歴史について話していた。
そこで、ぼくは質問した。

「soulとspiritの違いは、なんですか?」

すると、彼女の目は、一瞬で輝く。

「いい質問するじゃん! でも、それを説明するには、ものすごく時間がかかるんだよねえ」

ぼくは、彼女の反応とその背後にある日本とは全く違う国の存在を強く感じた。
そして、外国に惹かれている自分に気が付いた。

でもぼくは、両親の家業を継がなくてはならない。
そんなことは、できない。

 

高校3年の2学期。

自分の進路について、ぼくは個人的に小泉先生に相談していた。
彼女はいつものように、軽々しく核心的に言った。

「家の仕事、継ぐの辞めたらいいいじゃん」

それは、コントロールされていたぼくの心をかき乱した。
そして、全てを変えた。

呼吸法による中庸も。
玄米食による平安も。
禅による世界の統一感も。

「あんたは、大学に行って、もっと世界を知った方がいい」

そういうと小泉先生は、全てを見透かすようにゆっくりとぼくの目をみた。

 

寮に帰る道。
見上げた夜空には、無数の星が輝いている。

 

ほんとうに自分が求めていることを、始めよう。

 

そして、両親を説得することにした。

今まで、自分を抑えて、会社を継ごうとしてきた。
努力して、すべてをかけた。
でも、やっぱり無理だ。
ぼくにはやりたいことがあって、それを押しつぶすことは、これ以上できない。
父のようにはなれない。
本当に申し訳ないと思う。

 

母は、泣いた。
父は、理解しなかった。

 

そのようにして、数か月後、静かな怒涛の大学生活へ進む。

 

 

 

8日目の高校退学。

15年かけて組み立てたシステムが壊れていくプロセスを目撃する。

コントロールパネルが停止し、メインで駆動していた複数のソフトウェアのサポートが同時に期限切れになり、世界の製造プロセスから脱落する。

自分一人で世界に立ち向かっていかなければならない、という覚悟だけが残る。
機能不全の遺跡を抱えながら。

 

 

高校を退学したあと、ぼくは、色々な人々と出会う。

 

詐欺師と出会い、
アルゼンチンに住み、
コーヒー豆の焙煎を覚え、
妻と出会い、
ヘルニアになり、
子どもを授かり、
難しい転職を繰り返した。

 

狭い道。
素晴らしい人々。
まぎれもなく不器用な人生。

 

燃え尽きた末の8日目の高校退学。
当時のぼくに、これを言ったら信用してくれるだろうか。

 

その破壊と焼失はこれから、いくつもの始まりを生み出す。
どのように耐え難い局面を生み出そうとも、それはあなたにとって、尊厳のある領域だ。

だから、これを価値に転換できるところまで生き抜いてほしい。

《終わり》