集団の力で工業製品の生産性向上を達成した偉大な時代のある家族の民話

母の夢は、落語家になることだった。

だが、現実は違った。

23才になると彼女は、自営業の家に嫁いだ。3人の子どもを育て、慣れない会社経営をすることになった。そして、落語家になる夢をあきらめた。

「え? ゆうてませんでした? 私の庭、大阪城」

母は笑った。

 

土曜日。
お昼12時すぎから放送される、お笑い相談番組。ブラウン管のなかで、大阪の女性芸人さんが、流れるようにしゃべっている。母は、声を出して笑った。

 

母は群馬県、父は山形県の生まれだった。二人は、17才、年齢が離れていた。

ある夜、母は、二人のなれそめの話をしてくれた。

「おとうさんが、私の家に何度も来て、結婚してください、って言ってくるんだよね」

それは夜10時。ラジオからは音楽が流れ、母は「ろうそくに使うロウでバラを作る」という内職をしていた。他のみんなはもう、寝てしまっている。起きているのは、母とぼくだけ。小学生になったばかりのぼくは、その時間に、母の話を聞くのが好きだった。

「私は畑仕事やら、家の仕事やらでいそがしいのに。あのひと、商品のセールスだって言って、何度も来るんだよ。なんの用事もないのにさ」

「そしてねえ、かっこよかったんさねえ。」

母は、笑った、ように見えた。

 

 

40才の父と、23才の母は、そのようにして結婚した。

山形弁と群馬弁で会話する、17才の年齢が離れた男女。仕事ではお互い標準語を使い、妻は夫に群馬弁の敬語で話しかけ、夫は妻を山形弁で呼び捨てにした。

父は、お酒が好きだった。家ではほとんど笑わない。典型的な、昭和初期の真面目な男性だった。そして、お酒を飲むと、高い確率で不機嫌になった。声を荒げることも、珍しくない。

そんな父の隣で、母はいつも耐えるように、退屈そうに、晩酌をしていた。

 

 

ぼくは、母に聞いたことがある。

「なんで、いっつも、お父さんのお酒に、お母さんが付き合わねえどダメなんやあ? お母さん、お酒、ぜんぜん飲まんにのに」

母は小さく息を吐く。

「あんなに仕事頑張ってくれてるのに、一人でお酒飲んで、なんて言えないじゃん」

 

 

ある晩、父はお酒を飲んで、仕事の愚痴を言い始めた。すると母は、からかうように、面白いことを言った。ぼくたちは、笑った。

でも、父は難しい表情で、

「ん? どういうごどだ?」

と言った。

母は、無視するわけにもいかず、「今、母が言ったことがどうして子どもたちの笑いを誘ったのか」を丁寧に説明した。父の表情は、さらに難しくなった。

そして、

「ん。よぐわがんねえな」

と言い、ビールを飲んだ。

テレビのリモコンをつかみ、チャンネルを変え、ニュースを見はじめた。

1人で。

黙って。

ぼくたちは、声もなく、お互いの顔を見合わせるしかなかった。

 

 

家には、朝でも夜でも関係なく、電話がかかってくる。そして、受話器を取ると、父は標準語に変わる。

ある夜。

仕事を終えた父は、おいしそうに日本酒を飲んでいる。

「んまいなあ、このさがな(魚)。どごで買ってきたんだあ。つぎも、このさがな(魚)にしてけろない」

と父は言う。

「カラカラカラカラカラ」

古い木の柱に付けられた、電話の音が鳴る。食卓に緊張が走る。父が受話器を取る。

「はい!いつもお世話になっております。先日はお忙しいところ、お時間を作ってくださって、ありがとうございました!それで、その後の結果はいかがでしょうか?」

別人のように、きれいな標準語。テレビの音量をゼロにする子どもたち。数分間の沈黙。父を見守る家族。

「今後とも、何卒よろしくお願いいたします。それでは、失礼いたします。ありがとうございます!ありがとうございますぅ……」

ゆっくり受話器を置く父。

「ふーっ。来週は出張だな。いい結果がでだみだいだ。いがった。いがった」

「良かったですね。資料は何部、準備したらいいですか?」

と母。

食卓が、職場に変わる。

料理の上で、父と母のミーティングは続く。さっきまで、みんなでテレビを見て、魚の話をしていたのが、嘘のように。姉と兄とぼくは、無言で食事を続ける。テレビの中で、芸人さんが何かを言う。観衆が笑う。ぼくたちの食事は終わる。そして二人は食器を机に残したまま、事務所へ向かう。

二人は働く。
夜中まで。

 

 

明治の文豪が「月がきれいですね」と翻訳し、別の作家は「死んでしまうわ」と翻訳した、ある英語の文章。

文化も、言葉も、笑いのセンスも、まったく違う二人の間で、その想いは、「月がきれいですね」という言葉に翻訳されることはなかった。それどころか、言葉にさえならなかった。

 

 

日本の歴史に名を残す、昭和後期。集団の力で、工業製品の生産性向上を達成した、偉大な時代。その中を必死で走りきった、一組の純粋な男女。二人には、「月がきれいですね」でさえ野暮だった。なぜって、二人は「働くこと」に思いをゆだねることができたから。

いつか、Google翻訳に「時代」と「地域」と「方言」の機能が追加されたら。ぼくは「昭和50年代」の「山形県」と設定し、言語を「英語→日本語→山形弁」にするだろう。

そしてゆっくり「I love you.」と入力する。

きっと、そこには「沈黙(そして二人は、夜中まで働く)」と出力されるに違いない。

 

 

二人は、今も元気に生きている。愚痴を言って、からかって、難しい顔をして、あきらめて。長年、同じ型の漫才を守り続ける芸人さんみたいに。

30年前に母が言った、父と母のなれそめの話。

きっとそれは、21世紀を生き抜くための、ぼくのための民話なんだと思う。

ぼくはそれを、大切に、何度も思い出そう。
そして、子どもたちに語り継ごう。

昭和最後の瞬間に、奇跡的に生まれた、ある家族の民話として。

 

 

お母さん。
もう、ロウでバラを作らなくてもいいよ。

お父さん。
ぼくがそれを伝えるから、もう「月がきれいですね」と言わなくてもいいよ。
だから、安心して。