「この瞬間を日常生活と感じられることが奇跡」ということについて

自分の生活圏に、大切な人と一緒にいられること。
彼らにコーヒーを淹れる時間を確保できている、ということ。

見方によってはなんでもないことのように見えます。

でもそれは、他の何にも取り換えることができない「奇跡」だということをぼくは知っています。

 

    目次

  1. なぜ「日常=奇跡」と感じるようになったのか?
  2. 簡単なプロフィール
  3. 摂食障害と不登校の小学生時代(1990年8月)
  4. 高校退学と言葉の分裂(1995年4月)
  5. アルゼンチンで感じた「愛」と「言葉」について(2004~2007年)
  6. 世界の成り立ちを自分自身に説明するための23年間(1995~2018年)
  7. 自分以外のひとのために文章を書き始める(2018年6月)

 

1. なぜ「日常=奇跡」と感じるようになったのか?

分かりやすく言うと、

ぼくは幼少期から「家庭のプレッシャー」を受け、青年期に「言語的障害」を抱え、社会適応を継続してきたから、と言えます。
それは、目に見えない小さなトレーニングやチューニングを継続的に行い、組織にフィットしようと試みる日々のことを指します。

詳しくはこちらの記事に書きました。
ジェットコースターのような人生を傍観する先生の話

 

2. 簡単なプロフィール

島津 共範(しまつ とものり)
山形県出身。1980年生。

ロマンス語・翻訳・コーヒー・絵を描くこと・言語化することを愛しています。
平日はWeb製作会社に勤務、週末はコーヒー豆を焙煎し、大切な人にドリップする生活を送っています。

24才でアルゼンチンに語学留学し、ロマンス語(スペイン語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語)+ 英語を学びました。

27才で帰国し、飲食業界に身を置き朝から深夜まで働きます。

32才で結婚。子どもが生まれたこと、ヘルニアをきっかけに飲食業界から転職を決意します。
レストランのマネージャー、食品会社の営業事務、アクセサリーショップでの接客販売を経て、Web業界へ。

2018年6月、対話する空間Cologeresを開始。

 

3. 摂食障害と不登校の小学生時代(1990年8月)

過食を繰り返す10才のぼくは病気になり、ついに小学校に行かなくなりました。
残りの2年間を食事療法に費やします。体調を整え、中学校に入学。

 

4. 高校退学と言葉の分裂(1995年4月)

高校に入学して8日目。
ぼくは高校に行かないことを決めます。
正確に言うと「正常に生活できないという判断を下した」ということになります。

高校生8日目、その朝のこと。
ぼくの頭の中には2人の話し手がいました。

1人は考える速度が速く、論理的で、批判的な人でした。

もう1人は、言葉を憶えたばかりの2才の子どものように、ゆっくりと言葉を探し、考え、決断しました。

 

それ以来、ぼくは2人の話を聞きながら生活を送ることになります。
一言で言うとそれは「思考の機能不全」でした。

ぼくは映像を想像することができなくなり、うまく考えることもできなくなりました。
ものごとを言語を通して理解することに、驚くほど時間がかかるようになりました。

「視覚の意味」や「色彩の意味」「物語の意味」を始め、味覚・触覚・聴覚・嗅覚がぼくに提供するものの意味が全く分からなくなったのです。

 

ぼくは「自分が使うことができる単語」をひとつひとつ探し出し、積み木のように組み立てては壊す作業を開始しました。
現実的に生きていくために。

その作業は、今も続いています。

 

5. アルゼンチンで感じた「愛」と「言葉」について(2004~2007年)

2004~2007年、ロマンス語を学ぶためアルゼンチンに滞在しました。
複数の外国語専門学校に通う日々。スペイン語でそれぞれの言語の基本を学びました。

当時の生活についての記事はこちら。
昼間からぬるいビールを飲む国での壮大な失敗

 

あるときぼくは、ブラジル出身のポルトガル語の先生(30代女性)に聞きました。

ぼくは「愛」という言葉の意味がわからない。
なぜなら「愛」という言葉の概念は外国からやってきたものだから。

彼女は悲しそうに笑いました。

すると、隣の席に座る60代の白髪の男性(生徒)がこう言いました。

「愛」なんてただの言葉だよ。
自然に感じるものさ。
それはアルゼンチンでも、ブラジルでも、日本でも、今も昔も変わらないと思うよ。

先生は、そっとうなずきました。

 

6. 世界の成り立ちを自分自身に説明するための23年間(1995~2018年)

 

15才からの23年間、ぼくは言葉を「自分(2人)に対して、世界の成り立ちを説明するため」に使ってきました。

喫茶店で働いているとき、ある先輩が言いました。

「島津さんは、歩く教科書みたいですね」

心当たりがありました。

なぜなら、15才から言語的外傷を抱えながら、普通に社会に出て、普通に日本語を話し、普通に稼ぐためには、日常的に「自分(2人)に対して説明する」必要があったからです。

 

30才を過ぎたころから「15才のときの頭の中の2人」は、以前ほど明確に人格の形を取らなくなりました。

ですが、その痕跡を包むためにぼくは15年間変形を続けてきたし、「常に自分自身に対して説明しなければ理解できない」状態はまったく変わっていませんでした。

 

7. 自分以外のひとのために文章を書き始める(2018年6月)

 

2018年6月、ぼくはライティングゼミを受講し、自分以外のひとのために文章を書き始めました。2018年に書いた文章はの多くは、この時のゼミで提出したものが原型となっています。

多くの方々に読んでいただきました。

それは、ぼくにとっては一つの到達点でした。

なぜなら、ぼくは「言葉を失った者」として、15才からの23年間を「生き残ってきた者」だったから。

そのいきさつと、思いがけない展開について。
なつかしい未来へ向かって:アーティスト 遠藤朝恵さん

8. あたらしい朝をつくる人

 

自分の生活圏に、大切な人と一緒にいられること。
彼らにコーヒーを淹れる時間を確保できている、ということ。

そんな世界は、見方によってはなんでもないことのように見えます。でもそれは、この人生において「あたらしい朝」だということを、ぼくは知っています。

匍匐(ほふく)、後退、鼓舞、容赦。
生き延びることを決意し続けた末に掴んだ瞬間。

Cologeres(コロゴレス)は、色彩と言語を共存させることを目的とし、ひとりの個人が自分自身や大切な人と対話(dialogue)を重ねていく空間です。

「島津共範という個人の回復プロセス」を基調として、社会的価値の提供、個人と社会の関係性について考えていきます。

 

その遅々とした活動が、あなたにとって「何らかの形での助け」になればこれ以上の喜びはありません。