新しい朝(自己紹介)

大切な人と一緒にいる。
今日も彼らとコーヒーを飲む。

あっけなく日常に溶けていきます。

それは、なんでもなくて交換ができないとぼくは知りました。

 

    目次

  1. なぜ「日常=奇跡」と感じるようになったのか?
  2. 簡単なプロフィール
  3. 摂食障害と不登校の小学生時代
  4. 高校退学と言葉の分裂
  5. アルゼンチンで感じた「愛」と「言葉」(2004~2007年)
  6. 世界の成り立ちを自分自身に説明するための23年間(1995~2018年)
  7. 自分以外のひとへ向けて文章を書き始める(2018年)

 

1. なぜ「日常=奇跡」と感じるようになったのか?

 

一言でいうと、

ぼくは幼少期から「家庭のプレッシャー」を受け、青年期に「言語的障害」をかかえ、適切な社会適応ができなかったからです。

目に見えない小さな心的訓練や調整を行い、それぞれの組織にフィットしようとして失敗する日々。

 

詳しくはこちらの記事に書きました。
それを今言ったらウソになるから言えないこと

 

2. 簡単なプロフィール

島津 共範(しまつ とものり)
山形県出身。1980年生。

ロマンス語・翻訳・コーヒー・絵を描くこと・自分の言葉で世界を理解することを愛しています。
現在、平日はWebの会社に勤務、週末はコーヒー豆を焙煎し、大切な人たちと大切な時間を重ねています。

24才でアルゼンチンに語学留学し、ロマンス語(スペイン語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語)+ 英語を学びました。

27才で帰国。飲食業界に身を置き朝から深夜まで働きます。

32才で結婚。
子どもが生まれたことヘルニアをきっかけに飲食業界から転職を決意します。
レストランのマネージャー、食品会社の営業事務、アクセサリーショップでの接客販売を経て、Web業界へ。

2018年6月、対話する空間Cologeresを開始。

 

3. 摂食障害と不登校の小学生時代

過食を繰り返す10才のぼくは病気になり、ついに小学校に行かなくなりました。
残りの2年間を食事療法に費やします。

体調を整え、中学校に入学。

 

4. 高校退学。言葉の分裂

高校に入学して8日目の月曜日の朝。
ぼくは目覚めると、高校に行かないことにしました。

正確にはもうだいぶ前から自分は正常に生活できていないという事実を認めました。

その朝のこと。
ぼくの頭の中に2人の人物が現れました。

1人は考える速度が速く、論理的で、批判的な人でした。

もう1人は、言葉を憶えたばかりの2才の子どものように、ゆっくりと言葉を探し、考え、決断しました。
彼は3歳児ほどの言葉の吸収力はなく、ひとつひとつのことを、とてもゆっくりとしか決められませんでした。

 

それ以来、ぼくは彼ら2人の声を聞きながら生活を送ることになります。

それは思考の機能不全でした。

ぼくは映像を想像することができなくなり、同時にそれまでのように普通にものごとを考えられないようになりました。

ものごとを言語を通して理解することに、驚くほど時間がかかりました。

しだいに「視覚の意味」や「色彩の意味」「物語の意味」が分からなくなり、

最終的には味覚・触覚・聴覚・嗅覚・視覚・記憶がぼくに提供するものの意味が全く分からなくなったのです。

 

ぼくは「自分が使うことができる単語」をひとつひとつ探し出し、積み木のように組み立てては壊す作業を開始しました。

1995年4月。現実的に生きていくために緊急で重大な作業が始まりました。

その作業は、今も日常的に続いています。

 

5. アルゼンチンで感じた「愛」と「言葉」(2004~2007年)

2004~2007年、ロマンス語を学ぶためアルゼンチンに滞在しました。
複数の外国語専門学校に通う日々。
スペイン語の授業に参加し、スペイン語で英語やフランス語などそれぞれの言語の基本を学びました。

当時の生活についての記事はこちら。
昼間からぬるいビールを飲む国での壮大な失敗

 

あるときぼくは、ブラジル出身のポルトガル語の先生(30代女性)に聞きました。

ぼくは「愛」という言葉の意味がわからないのです。
なぜなら「愛」という言葉の概念は外国からやってきたものだから。

彼女は少し間をおいて、悲しそうに笑いました。

すると、隣の席に座る60代の白髪の男性(生徒)がこう言いました。

「愛」なんてただの言葉だよ。
自然に感じるものさ。
それはアルゼンチンでも、ブラジルでも、日本でも、今も昔も変わらないと思うよ。

先生は、そっとうなずきました。

 

6. 世界の成り立ちを自分自身に説明するための23年間(1995~2018年)

 

15才からの23年間、ぼくは言葉を「自分(2人)に対して、世界の成り立ちを説明するため」に使ってきました。

喫茶店で働いているとき、ある先輩が言いました。

島津さんは、歩く教科書みたいですね

心当たりがありました。

なぜなら、15才から言語的外傷をかかえながら、普通に社会に出て、普通に日本語を話し、普通に稼ぐためには、日常的に「2人の自分に対して説明する」必要があったからです。

日常的で緊急の終わらないサバイバルのなかで

自分の言葉で説明できること

がどうしても必要だったのです。

 

30才を過ぎたころから「15才のときの頭の中の2人」は、以前ほど明確に人格の形を取らなくなりました。

ですが、その跡を包むためにぼくは15年間変形し続けてきたし、常に自分自身に対して説明しなければ何事も理解できない状態はまったく変わっていませんでした。

 

7. 自分以外のひとへ向けて文章を書き始める(2018年6月)

 

2018年6月、ぼくはあるライティングゼミを受講しました。

会社の仕事で必要なスキルだったから、という理由で。

他人に伝えるには自分の気持ちが文章に入ることが大切であることをぼくは実感しました。

そこで初めてぼくは、自分以外のひとのために文章を書き始めました。2018年に書いた文章の多くは、この時のゼミで提出したものが原型となっています。

多くの方々に読んでいただきました。

それは、ぼくにとっては一つの到達点でした。

読者の数や反応、ではなく、多くの読者がいる場所に自分が参加できるようになった個人的な心的回復が大きなできごとでした。

なぜなら、ぼくは言葉を失った者として、15才からの23年間を生き残ってきた者だったから。

 

そのいきさつについての記事はこちら。
なつかしい未来へ。遠藤朝恵さんとの出会い

8.あたらしい朝をつくる人

大切な人と一緒にいる。
今日も彼らとコーヒーを飲む。
あっけなく日常に溶けていきます。
 

それは、なんでもなくて交換ができないこと。

あたらしい朝

 
自分との対話を繰り返してきたからこそ。

撤退、容赦、信頼。

生き延びることを何度も決意しなおす日々。
やっと掴んだ瞬間。

 

Cologeres(コロゴレス)は、

色彩と言語を共存させることを目的とし、ひとりの個人が自分自身や大切な人と対話(dialogue)を重ねていく空間です。

これからも活動は遅々と続きます。

それがあなたにとって何らかのかたちで助けになるのであれば、喜びはさらに大きくなります。