不可逆性を解決する活動としての許し。自己対話試論

大切な人とそうでない人を判別すること。

ぼくにとってこれは、高度な判断力が必要な作業です。
なぜなら、ぼくの半生は以下のようなストーリーを繰り返してきたから。

①組織のもっとも苦しいところを発見する
②過適応
③全力以上の能力を発揮
④バーンアウト
⑤組織からの撤退

この文章は、おそらく少数の「反射的に状況に過適応する」人たち(そして自分)に向かって書かれます。

自己対話で得られるもの

自己対話で得られるもの。

それは

変わりようのない自己を受容していく姿勢
自分自身の中に居場所をつくる習慣
・自分自身に対して、能動的に価値を付与すること

ハンナ・アーレントが人間の条件で言っている
「不可逆性を解決する手段としての赦し(forgiveness)を行うこと」


です。

そして

交換不可能な個人的深層に根を張ること

につながります。

これは、日常の中で具体的に自分を知っていく方法。
そして自己と対話するプロセスです。

自己対話の始まり。なぜぼくは「ダイヤモンドの指輪を母親に買ってあげたい」と思ったか?

30年ほど前の新聞には、大量の広告が挟まれていました。全国版の百貨店の広告や、量販店の広告。2色刷りの地方の広告や、はがき付きの厚い紙の広告。そしてその中には、必ずといっていいほど「宝石の広告」が入っていました。

ダイヤモンドやルビーやサファイア。
指輪、ネックレスにピアス。
価格は10万円台から始まり数百万円まで。

当時、小学生だったぼくは「そのダイヤモンドの指輪を母親に買ってあげたい」と思っていました。

なぜぼくはそう思ったのでしょう?

ここから、自己対話が始まります。

回答。それは働きすぎの母に喜んでほしかったから

それは、両親の会社経営がいつも苦しかったからです。
当時6才の少年にとって、透明に輝く石を所有することは、高水準の経済力の維持と同等に感じられました。

それによって、最終的に母に喜んでほしかったのです。
明らかに、働きすぎの母に。

彼女は、6才のぼくにとって明らかに大切な人でした。

要件定義。大切な人の定義、そうでない人の定義

これはぼくにとって、今でも高度な判断を求める工程です。

なぜなら、ある状況に入ると最初に「状況で大変な人」に過適応してしまい、
「自分を軸にした大切な人」からどんどんかけ離れていくからです。

ほとんど肉体反射的に。

ぼくの半生は、このようなストーリーを場所を変えて繰り返してきました。

①組織のもっとも苦しいところを発見する
②過適応
③全力以上の能力を発揮
④バーンアウト
⑤組織からの撤退

結局、だれも得をしませんでした。

「大変な人を支える自分」以外に、自分の居場所を見つけられずに生きることを繰り返しました。

ぼくの半生のストーリーは、「利用される役」にフィットして、「支えること」で進行していました。

大切な人の判別方法。自分自身の心理的肉体的安心を確保する

だからぼくには「大切な人」を判別する方法が必要です。

工程としては

①「大切ではない人」を明確にする
②「大切ではない人」との間に距離をおく
③「大切な人」を再確認する
④「大切な人」へ行動を起こす

という順序。

大切な人とは

①自分自身
②妻、娘、息子
③家族

外部環境に影響されやすい心理形態である者が一番最初に行うこと。

それは

自分自身の心理的肉体的安心を確保すること

です。

方法の具体化。大切にする方法をリストアップする

大切にする内部的方法

・深呼吸する
・自分の感覚を傾聴する
・自分の感覚に身を預ける
・心地よい自分に同調
・徹底的に自分を赦す
・心が動く未来を映像でイメージする
・自己との対話
・自分が乖離しないようにする
・大切な人たちを、大切と判断できる状況を選ぶこと

大切にする対外的方法

・インターネットに距離を置く
・物理的に状況から離れる
・物理的に落ち着く場所に移動する
・やりたくて、でもやってこなかったことをする
・対話ノートを書く
・今までの経験をもとに「ぼくが利用されそうな人」から離れる
・他者の感覚に同調しない
・「一緒にいて心地よい人」についての感覚を蓄積する
・他者への自己開示を一時的に停止する

家族

・平穏な家族の時間をつくる
・気持ちについての質問をする
・話を肯定する
・無理しない
・適当でいる

経済

・経済的に苦しめられることのない経済環境へ向かう
・自己分析(強み、弱みの把握)
・スキルの特化(横展開と縦展開)
・ポジショニング(市場把握と位置の調整)
・志の発信と仲間との出会い
・情熱の発見と行動化
・ブランディング

健康


仕事/キャリア

・誰と仕事をしているか
・「自分が得意なこと+好きなこと」「会社が求めている職能」「社会が求めている職能」
  →この3点が重なる場所で仕事をすること
・自分の特性に合った
・外国でも普通に働いていること
・英語、スペイン語、フランス語を使って仕事をしていること

転職を繰り返す日々と自己対話

結局どこに行っても「反射的に状況に過適応する」行動が、ぼくをどこかへ連れていきます。

ぼくは、扱いにくい自分自身と正面から向き合い、話し合い、態度変容を求め、自分の幼さを認めます。

全ては自分が発端であったという事実を避難しない方法で容認します。

数年間という時間をかけて。
ゆっくりと。

きっかけは31才。

転職の時代も終わり、大切な人と時間を過ごすことに価値を感じる。

転職の時代と出会い

2008年、夏。
小さなお好み焼き屋のテーブル席。
知り合って数か月の同僚が3人。

そのなかの一人、
洋裁教室の先生がこう言いました。

①働きすぎてヘルニアになったこと
②長年属していた飲食業界を撤退したこと
③同時期の第一子誕生

飲食業界から別の業界に身を置くことになったぼくは転職を繰り返します。自分のスキルセットを、ゼロから組み立てなおし、所属する組織に求められるスキルを適応させるハードな日々が始まります。何年間も。

その中でぼくは自己との対話を行ってきました。

計画とは未来含有率の高いストーリー

記憶を

過去含有率の高いストーリー

だと仮定します。

そして計画を

未来含有率の高いストーリー

と仮定します。

この計画の段階にきてやっと「自分自身との対話」の工程を大切にしてきたことが生きてきます。

思考が行動に繋がる。2018年のサロン・デュ・ショコラへ

未編集で未来含有率の高いストーリーを想像します。

それは、妻と娘と息子に、チョコをプレゼントすること。

どのように?

→想像力を使って

このようにして、ぼくは2018年、たくさんの女性が集まる京都駅伊勢丹10階、サロン・デュ・ショコラに行きます。やっと、思考が行動につながります。

サロンデュショコラのなかでぼくは、大切な人への想像力を使うことになるのです。