立ち食いそば屋の360秒

「うどんかそば、どちらになさいますか」

「そばで」

そばの茹で時間は約10秒。
出汁がどんぶりにうつされる。
そばが入る。

最後にネギと一切れのかまぼこ。

「はい。かけそば」

ぼくは箸と水を準備し、天かすを2杯どんぶりに入れる。

席に座り、そばを食べる。

いつもの味。

安心感、うまみ、温かさ。

 

狭い店内。
午後6時54分。
駅構内の立ち食いそば屋。
ガラスの向こうに、一日を終え帰路に着く人々が見える。

 

イミテーションミュージックがぼくたち労働者の鼓膜を揺らす。次乗る電車の発車時間を気にしながら食べるぼくたちの鼓膜を。

 

 

「ありがとうございました~」

数人の60代女性は、作業しながら声をあげる。

無関心と人類愛の間で働く人々。

男たちは何も言わずに通りすぎたり、会釈したり、ありがとう、だけ言ったり。

平均滞在時間は約6分。

これは、ある立ち食いそば屋での360秒の追憶。

仮説も戦略もない。

 

 

先月、84才の父が手術をした。
5cmと3cmの大動脈瘤を腸の下部を通る血管から摘出するという。

「体力的にもこのタイミングが最後になるでしょう。これ以上加齢したら体がもたないかもしれない」

「どうなるかはやってみないと分かりません」

医者が母に言う。

 

 

父は、45才年下のぼくを愛した。

夜がやってくると彼は酒を飲み、わりと頻繁に小さなぼくを蔵に閉じ込めた。翌日にはそれを忘れ、笑顔でぼくのことを

とものりくん

と呼んだ。

それが彼の愛し方だった。

 

 

その後の30年間をサバイバルしたことで「生きる」という滞在時間が増加した。でも日々の滞在時間が累積したところで、設定したコンバージョンが達成されるわけではないことをぼくは身をもって学んだ。

 

そこには分析と戦略が必要だ。

 

あるいは自分自身に対する深い洞察を基にした、新たなコンバージョン設定が。

 

そして、二度と見たくないページのページビュー数だけが、深夜にひっそりと増加していることに気がついた。流入元は分からない。

 

 

not provided

 

 

「いままでありがとう。手術が終わったらまたいろいろ話そう」

「ああ。そうだなあ」

 

 

それは、父の手術前に、ぼくと父が電話越しに交わした会話。

もっと他のことを言えばよかったのだろうか。

感謝を伝えなければと思ったのだ。

空の青が痛い。

 

 

 

「ごちそうさまでした」

とぼくは言い、食べ終わったどんぶりとトレイをカウンターに持っていく。

「ありがとうございました~」

ひとりの60代女性が、空になった天かすのどんぶりをシンクに入れながら言う。

 

 

滞在時間は360秒。

 

 

新たなコンバージョンを設定しなくては

とぼくは思う。

 

 

無関心と人類愛の間に立ちながら。

 

 

でも、そこには分析と戦略が必要だ。

 

 

あと、愛が。