【アルゼンチン留学】ほかの人にはあまり役に立ちそうもない結論と、自分にだけ見える小さな種の萌芽

これは、平日の昼間からぬるいビールを飲む国(アルゼンチン)で手に入れた、言語学習的失敗との記録。

2年半という膨大な時間とお金をかけて手に入れたもの。

それは

日本語で無口な人間は、スペイン語でも無口である

という、きわめて当たり前のほとんど役に立たない結論。
でも、自分にだけは役に立つ結論に至る話。

舞台は、2005年1月のアルゼンチン。夏。40℃。ある地方都市。学生寮の扉の前。
 

23才でアルゼンチンに行く目的

ぼくは当時23才。
大学を卒業し、アルバイトでお金を貯め、アルゼンチンに向かった。

目的は、スペイン語を学ぶこと。

もっというと「日本語を介さずに」スペイン語を学ぶことだった。

成人した人間が、母国語を使わずに、いかにして外国語を習得していくのか?

そのプロセスを体験すること自体に、ぼくは長い間興味を抱いてきた。

 

無口な性格と諦められなかった「人間が言葉を習得するプロセスの体験」

最大の課題。
それはぼくの性格だった。

小さいころから、ぼくは無口で、人と話すのが苦手。
中学生のころは、休み時間の同級生とのがいやで、いつも寝たふりをしていた。
大学では、2カ月間、誰とも話さないことなんて普通だった。

それでもぼくは「人間が言葉を習得するプロセスの体験」を諦めることができなかった。

なぜかは分からなかった。

 

まるで市民権のひとつのようにナンパを繰り返すアルゼンチン男子学生

そんな「理解されがたい欲求と、矛盾した性格」をよそに、アルゼンチンの男たちは、まるで市民権のひとつのようにナンパを繰り返した。

「ねえ、きれいな姉さん。これからどこ行くの?」

「俺たちと一緒に今夜、踊りに行こうか?」

ダリオとチノが道行く女性に声をかける。
※ダリオとチノとは、当時ぼくが住んでいた学生寮で出会った2人の青年。

「……」

女性は、彼らを無視して通りすぎる。

ぬるいビール。
見込みないナンパ。
けだるい平日の午後。

汗をかきながら、だらだらと話を続けるアルゼンチン男子学生のなかに、ぼくはいた。

道行く女性をジロジロ眺めて、好みの女性が通ると、例の「ヒューーーッ!」という大きな口笛を吹く。

「ヘイ、トモ(彼らはぼくを「トモ」と呼んだ)! お前もナンパしろよ!」

筋トレ好きのダリオが要求する。

「お前はどんな女性が好みなんだ?トモ」

人懐っこいチノが聞いてくる。

耐え難い。

でもアルゼンチンの夏の午後は、まるで時間が歩くのを放棄したみたいに、なにもかもが停止していた。

 

「言語とは身体的筋力である」日本の大学で学んだスペイン語はほとんど役に立たない

2月になると、言語の専門学校に通った。

大学で学んだスペイン語は、ほとんど役に立たなかった。

ここで感じたことは「言語とは身体的筋力である」ということだった。
それはほとんど「新しいスポーツを習得すること」と身体感覚的には同じだった。

ぼくはアパートから出る前に、自分が言いたいことを覚え、予想される答えを調べた。

それが、ぼくができる準備の全て。

受付の若い女性に、片言のスペイン語で話しかける。

「ジョ キエロ テネール クラセ デ エスパニョール(私はスペイン語のクラスを受講したいです)」

「ブエノ セニョオール クアル ニベル マス テ グスタリア?」

もう、一言目から何を言っているか分からない。

 

わけもなく楽しかった「スペイン語を聞いてスペイン語で理解するプロセス」

ぼくは「スペイン語」の専門学校のほかに、「イタリア語」「ポルトガル語」「英語」「フランス語」のクラスを受講した。

「スペイン語」は外国人(ぼく以外はヨーロッパの学生だった)を対象に、スペイン語で授業が行われた。そしてヨーロッパの学生たちは、2カ月から長くて6カ月でスペイン語を完璧にマスターし、母国へ帰っていった。

彼らとは対照的に、最初の6か月間、ぼくはアルゼンチンの人たちが何を言っているのか、まったく分からなかった。

「これはまずい。先が見えない」

「あまりにも時間がかかりすぎる」

でも、わけもなく楽しかった。

スペイン語を聞いて、それを自分の頭の中でスペイン語で理解するプロセス。

それだけで楽しかった。

 

自分の中に育った「親イメージとしての言語体系概念」

問題は、1年滞在してもぼくのスペイン語は4才児と同じか、それ以下だったこと。

次第に、ぼくのスペイン語の姿はぼくの日本語の姿とそっくりになった。

つまり、スピーキングレベルは、量、スピード、ともに、とても低い。
ライティングは、少ない量だけれど、ある程度は制作できる。
そして、リスニングだけが、異常に突出している。

 

相手が言っていることは、大体分かるようになった。

それは

大まかな意味を掴む重要性

大体でいいから類推し、仮説として断定することの重要性

を掴んだからだった。

 

恋人同士で行われる会話と、心の動きが分かる程度に、ぼくのスペイン語のリスニング能力と類推能力は発達した。

でも、ぼくは自分自身の中に、語るべきものを何一つ見つけられなかった。

つまりそれは、二つの言語体系を俯瞰する視点を手に入れたことを意味していた。
また、それはぼく自身の言語体系を俯瞰する筋力を手に入れたことを意味していた。

「日本語」という内部で言語体系を理解するのではなく、
「日本語とスペイン語」を両方を身体的に比較した経験。

自分の中に育った「親イメージとしての言語体系概念」

それは、他言語への複製可能となる親としてのイメージ。
それこそが、ぼくがを時間をかけて育ててきたものだった。

 

 

硬化した重い石の発見

ぼくは2年半もの間、アルゼンチンに滞在した。

自分自身の中に発見したもの。

それは、硬化した重い石。

その石が語られるまでには、途方もない時間が必要なことだけは、はっきりとわかった。

でもそれは、アルゼンチンに行く前に抱いていた感覚ほとんど同じものだった。

 

耐えること。
続けること。
諦めないこと。

 

これまでと同じように。

 

ほかの人にはあまり役に立ちそうもない結論と、自分にだけ見える小さな種の萌芽

そのようにしてぼくは、2年半という膨大な時間をかけて「実務的な翻訳能力」の取得に正面から失敗した。

同世代の知人や友人は日本で、新社会人という苦しく明るい道を進んでいた。

日本の裏側の誰もいない路地を歩きながらぼくはひとりで、大きくつまずき続けていた。

 

ぼくが手にいれたもの。

 

それは、

日本語で無口な人間は、スペイン語でも無口である

という、きわめて当たり前のほかの人にはあまり役に立ちそうもない結論と

自分の中に育った「親イメージとしての言語体系概念」

という、自分にだけ見える小さな種の萌芽だった。

たくさんの時間とお金をかけて、とても遠い場所に移動して。
痛みを伴って。

これから自分と一緒に生きていくために必要な、自分のしくみに深く入り込んだ身体的な結論と萌芽。

 

「ヒューーーッ!」

 

窓の外から、男たちの口笛が聞こえる。

彼らは今日も、信じられないくらい大きな口笛を吹いて、通り過ぎる女性の注目を引こうとしている。

なんの効果もないことを知りながら。
とても楽しそうに。