娘は「ピカソってなに?」と尋ねる
「ちょっと、ピカソの展覧会に行ってきます」
とぼくは奥さんに言いました。
「へえー、今そんなのやってるんですね」
と奥さんは言いました。
「はい。京都駅の伊勢丹で今、ピカソの版画展をやってるみたいで。子どもたちと行ってきます」
「じゃあ、私は髪を切りに行ってこようかな」
土曜日。午前9時30分。
そのようにして、奥さんは散髪に、2才の息子と6才の娘とぼくは、京都駅へ向かいました。
自転車で行こうと思っていたのですが、家の扉を開けると、さっきまで涼しかった天気は、雨に変わっています。
ぼくはベビーカーを出し、雨よけシートをかぶせ、息子を乗せます。娘にはピンク色の傘を持たせ、ぼくは紺色の傘を持ちました。
京都駅に歩いて向かうまでのあいだに、雨はどんどん強くなります。
「今日は、ピカソの絵をみてから水族館に行くしな」
とぼくは、娘に説明しました。
「ピカソってなに?」
と娘は聞いてきました。
「世界で一番有名な、絵を描く人の名前や」
とぼくは答えます。
「わかった」
と娘は言いました。
あまり、興味はなさそうでした。
息子はベビーカーの中で、もくもくとラムネを食べていました。
何かがぼくを引き留める
京都駅伊勢丹の一階に到着。
自動ドアの前には10人ほどの人たちが、待っていました。
ベビーカーの中から息子が
「すいぞくかんいきたい!」
と叫びます。
雨も強くなってきました。
ぼくは、ピカソの絵を見ないで、もう水族館に行った方がいいかも、と思いました。子どもたちに興味がないのは明らかだったからです。
でも、何かがぼくを引き留めました。
ぼくは、
「ちょっと待ってもらってもいいか?お父さんが見たい絵やし」
と娘と息子に言いました。娘は、どちらでも構わない、というような表情。
そして、実際
「どっちだっていいよ」
と言いました。
息子がラムネを床に散らかす
京都駅伊勢丹の自動ドアが開きます。
立派なエレベーターに駆け込む3人。娘が7階のボタンを押し、ぼくは息子が乗ったベビーカーを押します。
7階。静かな店内を通り過ぎ、伊勢丹の中にある展覧会へ。人はまだ少なく、女性スタッフの人たちも心なしか眠そうです。
大人1枚、子ども1枚のチケットを1,600円で購入。生まれて初めて見るピカソの版画を前に、ぼくは少し興奮していました。
扉を開けた瞬間、娘が
「こわい!」
と言いました。
すると
「すいぞくかんいきたい!」
と息子が叫びました。
結局ぼくたちは、5分もしないで、走るように(実際、走りました)展覧会場を通り過ぎました。
販売スペースで、ひとり一人好きなポストカードを、一枚ずつ選びました。
会計をしているあいだ、息子がラムネを床に散らかしました。
「すいません!」
とぼくは言い、展覧会を出ました。
3人はイルカショーへ向かって走る
京都市水族館に向かうバスの中、ぼくは娘に聞いてみました。
「ピカソ面白かった?」
娘は何も言いません。
多分、あまり面白くなかったのだと思います。
ぼくは少し落ち込みました。
10時45分。バスを降りたぼくたちは、大雨のなか、傘をさして水族館に向かって全力で走っていました。11時から息子が好きな「イルカショー」がはじまるからです。
途中、ぼくは傘をたたみ、濡れながらベビーカーを押しました。
娘は、ハアハア言いながら走りました。
水族館の玄関にベビーカーを置き、息子を抱きかかえ、娘とぼくの年間パスポートを見せました。
オオサンショウウオのニコ生会場を通りすぎ、急な階段を駆け上がり、イルカショーへのスロープにたどり着きました。
ギリギリでぼくたちはイルカショーに間に合いました。
息を切らす娘とぼくの隣で、息子がラムネを食べていました。
「おなかすいた」
と娘がつぶやきます。
イルカショーを堪能した3人は、水族館を出て、コンビニのイートインコーナーで、おにぎりとパンを食べ、もう一度、水族館に戻りました。
オオサンショウウオのえさやりを見て、アザラシとペンギンとサメを見て、クラゲとエビとカニを見ました。
わたしのやりたいこと、一個もやってない
正直ぼくはもう、くたくたでした。
バスで自宅に向かい、残りの道を歩いているとき、息子が眠りました。
そして、娘が一言。
「わたしのやりたいこと、一個もやってない」
ぼくは申し訳ない気持ちになりました。
「家に帰ったら、何がしたい?」
と聞くと
「縄跳びとボール遊びと自転車」
と娘。
3人は団地の中庭を走る
家に帰り、髪を切った奥さんと、目覚めた息子と、娘とぼくの4人は、団地の中庭に行きました。
そこで4人は、縄跳びと、ボール遊びをして遊びました。
そのあと、子どもたちは自転車に乗りました。
ぼくと娘は競争をしました。
娘は自転車で、ぼくは走って。
正直もう、本当にくたくたでした。
37年の偏った愛の氷解
テレビでサザエさんを見て、一緒にお風呂に入り、食器を洗って。
ぼくは倒れるように布団に転がりました。隣には、同じように寝転がる娘。
そのとき、ふと思ったのです。
この子には、ぼくが子どものときにしてほしかったことをしよう
この子には、ぼくが子どものときに言ってほしかったことを言おうと。
ぼくは言いました。
「○○ちゃんに何があっても大丈夫だからな」
「お父さんは○○ちゃんが大好きやしな」
「勉強ができてもできなくても、どっちでも○○ちゃんは大丈夫やし」
娘は黙って、ぼくに抱きついてきました。
そして、こう言ったのです。
「ピカソの絵、おもしろかったな」
胸が熱くなりました。
それは、彼女がぼくに気を使っていることが分かったから。
ぼくは言いました。
「ありがとう。お父さんが好きなものを○○ちゃんにも、見せたかったんや」
「だから、○○ちゃんが面白くなかったとしても、ぜんぜん大丈夫やで」
「付き合ってくれて、ありがとうございました」
娘は
「うん」
と言い、そのまま眠りにつきました。
長い1日でした。
なつかしい1日でした。
そしてそれは、5分間のピカソが、37年の偏った愛を氷解した1日でした。