
「言語翻訳論」は
「言語の構造分解プロセス」と「言語翻訳の構造」について、仮説検証と実践を行うカテゴリー。
まだ人類は「派生の違う言語習得」に対して「適切な全体像把握と方法論」を持っていない
という仮説をベースにした仮説検証活動です。
「7か国語話者になる」という目標未達成から分かったこと
ぼくは19才でスペイン語スペイン文学科のある大学に入学しました。
そこで4年間で「7か国語話者になる」という目標を掲げ、独学を進めました。
それは見事に達成できなかった。
そこで3つの仮説が生まれました。
3つの仮説
1.個人の表現傾向と個人の学習領域という2つのフィルターが、客観的数値化のむなしさを生む
2.言語学習には「言語理解のための周辺学習」が必要なのではないか?という仮説
3.言語理解には脳の認識傾向による個体差があって、それはほとんど先天的なのではないか?という仮説
仮説1.個人の表現傾向と個人の学習領域という2つのフィルターが、客観的数値化のむなしさを生む
まず、英語を学ぶとき、
Hearing
thinking
Reading
Writing
Speaking
Conversation
のいずれかのインプット/アウトプットに特化せざるをえない。
それは自分の表現傾向に依存する。
さらに、完全に個人の興味に依存する学習領域の違いがその上のレイヤーとしてある。
つまり、
個人の表現傾向と個人の学習領域という2つのフィルターを通ったあとでやっと、客観的数値として記録されること。
深く個人に根差した2つのアウトプット形態が、ダイレクトに客観的数値として社会化される。
それは、肉体的にも精神的にもモチベーションを崩す。
苦手意識が生まれる。
という仮説です。
仮説2.言語学習には「言語理解のための周辺学習」が必要
例えば、
言語学概論
音韻論
価値論
意味論
翻訳プロセス論
言語活動の全体像把握
適切な学習順序
学習の量と質
学習マネージメント
コミュニケーション理論
心理学
歴史学
異なる文法に臨む場合はとくに。
同族の言語であれば、音とイメージの距離は地続きの感覚が残ります。
でも派生言語が全く違う場合、音とイメージの距離が遠すぎるため、言語という存在を包括的に理解する周辺知識が必要になってくるのではないか?という仮説です。
仮説3.言語理解には脳の認識傾向による個体差があって、それはほとんど先天的
特殊な家庭環境であればあるほど、言語理解の方法は偏重するはず。
3つの仮説は、まだ人類は、成人した個人が派生の違う言語を習得するときの適切な全体像と方法論を持っていないのではないか?
という1つの仮説に集約されました。
おそらく
・性格のセグメント化:性格や属性で分類された各個人
・複数の学習体系:適切な学習体系、ツール
・適切な時間:各個人に見合った適切な接触時間の総合計。
が、まだ追求されていない(あるいは、もう存在しているけれど普及していない)のかもしれません。
例えば言語学者クリス・ロンズデールの理論「2つの間違った思い込み、5つの原則、7つのアクション」のように。
言語学者クリス・ロンズデールの方法論とぼくの言語仮説
そしていつも最後に辿り着くのは、
たとえ自分が先天的な認識個体差によって言語習得に不得手な認識パターンをもっていたとしても、それが言語習得を諦める理由にはならない
という結論でした。
たとえどんなに回り道でも、ぼくは自分で言語にアプローチし続ける。
全く前進しなくても。
日本語再構築
これらの文章は、効率的な方法では決してないし、権威性が高いものでもありません。あくまで「15才のときに思考に困難を持った一個人の再統合への歩み」です。

複数言語の翻訳活動から言語構造を相対化し、日本語構造自体を再定義する試み。
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和歌翻訳

和歌を英語に翻訳するプロセスは具体的にどのように進むのか?
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