和歌を英語に翻訳するプロセスを具体的に言語化すれば、おのずと
- 「日本語古語」と「現代日本語」の違い
- 「日本語の構造」と「英語の構造」の違い
- 「日本語の構造が生むイメージ」と「英語の構造が生むイメージ」の違い
を体験することができます。
その手法として「百人一首の和歌を現代日本語に翻訳し、さらに英語に翻訳するプロセス」を細かく言語化していきます。
今回は、素性法師の百人一首
今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
です。
ポイントは「英語構造の日本語」に翻訳すること。
具体的には下記の6つ。
- 日本語構造の日本語を把握する
- 英語構造の日本語に組み替える
- 英語構造の英語に翻訳する
- SVO構文を再現する
- 時制の明示(過去・現在・未来)
- 因果関係の前置詞(そして、でも、だから)の明示
これらのプロセスを踏んで百人一首を現代日本語に組み替え、現代英語に翻訳します。
最終的に下記のようになりました。
「すぐ君に会いに行く」とあなたは言った。
だから私はあなたを待ちました。
9月の晩秋の夜に、夜明けの空が現れるまで。
月が浮かんでいました。
あなたはそこにいなかった。
‘I’ll be coming to see you soon,’ you said.
So I waited for you until the dawn sky appeared on a late autumn night in September.
The moon had been floating.
And you were not there.
和歌の作者理解:素性法師(そせいほうし)
和歌の作者:素性法師(そせいほうし)
時代:平安時代前期~中期
職業:歌人・僧侶・三十六歌仙の一人
家系:桓武天皇の曾孫
古今和歌集(36首)以下の勅撰和歌集に61首が入集
日本語古語の原文分析
「百人一首大辞典(あかね書房)」と「weblio古語辞典」をもとに日本語の古語を分析していきます。
日本語古語の原文
今来むと 言ひしばかりに 長月(ながつき)の 有明(ありあけ)の月を 待ち出(い)でつるかな
「今すぐ行きますよ」とあなたがおっしゃったばかりに、九月の長月をずっと待っていると、ありあけの月が出る明け方になってしまいました。
引用:百人一首大辞典 監修 吉開海直人(あかね書房)
期間に関する2つの説
待っていた期間について2つの説があります。
- 一夜
- 数カ月→何カ月も待っているうちに秋が深まった、という理解
個人的にどちらでもいい気がします。あるいはどちらの可能性もあると思います。
なぜなら、素性法師は「代詠(だいえい)」としてこの和歌を詠んだからです。
代詠とは「ほかの人になり代わって歌を詠んだり、だれかに頼まれて歌の上手な人が代理で読んだりする」こと。
素性法師は男性ですが、女性の心を読んだものです。
この条件だとすると、一夜の可能性も数か月の可能性もあるだろうなと思うのです。
【今:名詞/副詞】
今:すぐにの意味
noun 名詞
①現在。現代。今の世
②新しいこと。新しいものadverb 副詞
①たった今。ちょうど今
②今すぐ。すぐに。
③まもなく。近く。
④新たに。最近。 ⑤さらに。もう。【来む:動詞/補助動詞】
verb 動詞
来(こ):動詞「来(く)」の命令形。
来(く)
自動詞:カ行変格活用
①来る。
②行く。
③おとずれる。補助動詞:カ行変格活用
こ/き/く/くる/くれ/こ(こよ)
〔動詞の連用形に付いて〕以前からずっと…する。…てくる。【む:助動詞】
《接続》活用語の未然形に付く。
①〔推量〕…だろう。…う。
②〔意志〕…(し)よう。…(する)つもりだ。む:意志を表す助動詞
来む:平安時代には男を待つ側であった女性の立場での表現です。【言ひしばかりに】
【言ひ:動詞】
い・ふ 【言ふ】
他動詞ハ行四段活用
活用{は/ひ/ふ/ふ/へ/へ}
①言葉で表現する。言う。話す。
②(詩歌を)詠む。吟ずる。
③〔「…といふ」の形で〕呼ぶ。
④うわさをする。評判を立てる。し:過去の助動詞「き」の連体形
ばかり:副助詞
《接続》体言、副詞、活用語の終止形・連体形などに付く。
①〔範囲・程度〕…ほど。…ぐらい。…あたり。▽時期・時刻・場所・数量・大きさなどのおおよその範囲を示す。
②〔動作や作用の程度〕…ほど。…ぐらい。
③〔最上・最高の程度〕…ほど。…ぐらい。▽下に打消の語を伴って。
④〔限定〕…だけ。
⑤〔動作や作用の程度の限定〕…だけ。…にすぎない。に:断定の助動詞「なり」の連用形
接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。
①〔逆接の確定条件〕…のに。…けれども。
②〔順接の確定条件〕…ので。…ために。
③〔単純接続〕…ところ。…と。
④〔添加〕…のうえ、さらに。…に加えて。ながつき 【長月】名詞
・陰暦九月の別名。この月で秋が終わる。
・[季語] 秋。ありあけ 【有り明け】
名詞
①まだ月が空に残っているうちに夜が明けること。そのころの夜明け。
▽陰暦で十六日以後、特に二十日過ぎについていうことが多い。
②夜が明けてもまだ空に残っている月。[季語] 秋。
③「有り明け行灯(あんど)」の略。まち-い・づ 【待ち出づ】
他動詞ダ行下二段活用
活用{で/で/づ/づる/づれ/でよ}
待ち受けて出会う。待ち受けて得る。「まちづ」とも。かな:終助詞
《接続》体言や活用語の連体形に付く。〔詠嘆〕…だなあ。
参考終助詞「か」に終助詞「な」が付いて一語化したもの。
中古以降、上代の「かも」に代わって、和歌・俳句や会話文に多く用いられた。引用:weblio古語辞典
日本語古語の発音
ima kumu to:今来むと
iishi bakari ni:言ひしばかりに
nagatuki no:長月(ながつき)の
ariake no tuki wo:有明(ありあけ)の月を
machi ide tsuru kana:待ち出(い)でつるかな
日本語古語を英語の構造にはめ込む(SVO分析)
日本語古語の原文
今来むと 言ひしばかりに 長月(ながつき)の 有明(ありあけ)の月を 待ち出(い)でつるかな
日本語構造と英語構造の違い
仮説として「私(詠み人)」を主文としてしましたが、はたして古語の日本語に「主文⇔従属文」という概念があったのか、個人的にはとても疑わしいところです。
日本語にとって主語はそこまで影響力の強くない要素だからです。
日本語の中心は「述部」であり、この歌でいうと、後半に登場する「待ち」です。
そもそも、この歌には一度も主語が登場しません。
英語の構造にはめ込むときは、形式的に「主文⇔従属文」という概念に、文章を組み替える必要が出てきます。
そのため、下記のように役割を与え、英語構造を模倣します。
このプロセスで、英語翻訳の「意訳」が大きく表現されます。
形式的に英語の構造「主文⇔従属文」という概念に文章を組み替える
主文:main SVO(待ち)
Subject:私
Verb:待つ
Adverb of Time:ありあけの月(明け方まで空に残る月→夜から明け方までの時間を過ごした)
Adverb of Place:屋敷(私がいる場所)
従属文:Subjective sentence(今来むと 言ひし)
Subject:あなた
Verb:言う
和歌の映像イメージの順序を確認する
英語構造のなかでは、日本語と同じようなイメージの順序を想起させることは難しいです。また、日本語と同じようなイメージの順序を想起させる重要性もないように思います。
なぜなら、日本語の文章構造と、英語の文章構造が違いすぎるからです。
歌の順序通りにイメージを立ち上げると、下記のようになります。
- すぐ行く、という男の言葉
- 男が詠み人に言ったセリフであることが分かる
- それが原因で
- 詠み人は、9月の有明の月を
- 待ち
- 明けの月が出てきてしまった
- 結局、あなたはまだ来ていない
現代日本語訳:英語構造の日本語に翻訳する
いくつもの現代日本語翻訳文を作ります。
ポイントは「英語構造の日本語」に翻訳することです。
具体的には
- SVO構文を再現する
- 時制の明示(過去・現在・未来)
- 因果関係の前置詞(そして、でも、だから)の明示
を意識します。
そのようにして「英語構造の日本語」を作ります。
可能であれば、その後時間をおいて、もう一度見直し、もっともしっくりくる翻訳文を選択します。
英語構造の日本語:パターン1
9月の晩秋に「すぐに行く」とあなたは言った。
だから私はあなたを待ちました。
夜明けの空が現れるまで。
そこには月が浮かんでいました。
あなたはそこにいなかった。
英語構造の日本語:パターン2
「すぐに行く」とあなたは言った。
だから私はあなたを待った。
9月の晩秋の夜。
夜明けの空が現れるまで。
そこには月が浮かんでいる。
まだあなたは来ていないけれど。
英語構造の日本語:パターン3
「すぐに行く」とあなたは言った。
だから私はあなたを待ちました。
9月の晩秋の夜に。
夜明けの空が現れるまで。
月が浮かんでいました。
あなたはそこにいなかった。
英語構造の日本語を英語構造の英語に翻訳する
今回は、下記の日本語を選択しました。
その後、英語に翻訳します。
つまり、翻訳の順序としては
日本語構造の日本語
↓
英語構造の日本語
↓
英語構造の英語
というプロセスを通ります。
英語構造の日本語
「すぐに行く」とあなたは言った。
だから私はあなたを待ちました。
9月の晩秋の夜。
夜明けの空が現れるまで。
月が浮かんでいました。
あなたはそこにいなかった。
英語構造の英語
“I’m coming right away,” you said.
So I waited for you.
Late autumn night in September.
Until the sky at dawn appeared.
The moon was floating.
But you weren’t there.
推敲:英語翻訳を終えた後に
推敲では、英語翻訳を終えた後に再度全体を見直します。
今回は
- 時制
- 時間と空間の前置詞
- 因果関係の前置詞
を修正しました。
3つの具体的な修正
「時制」の修正
“I’m coming right away,”
→’I‘ll be coming to see you soon,’
The moon was floating.
→The moon had been floating.
「時間と空間の前置詞」の修正
So I waited for you.
Late autumn night in September.
Until the sky at dawn appeared.
→So I waited for you until the dawn sky appeared on a late autumn night in September.
「因果関係の前置詞」の修正
But you weren’t there.
→And you were not there.
推敲後の英語
「すぐ君に会いに行く」とあなたは言った。
だから私はあなたを待ちました。
9月の晩秋の夜に、夜明けの空が現れるまで。
月が浮かんでいました。
あなたはそこにいなかった。
‘I’ll be coming to see you soon,’ you said.
So I waited for you until the dawn sky appeared on a late autumn night in September.
The moon had been floating.
And you were not there.
この和歌の英語翻訳で難しかったところ
この和歌の英語翻訳で難しかったところは
- 詠み人の主動詞の特定
- 動詞の時制
- 感嘆の「かな」
でした。
対応として、下記の方法を取りました。
- 詠み人の主動詞の特定:待つ(単純過去:waited)
- 動詞の時制
be coming→will be coming
was floating→had been floating
- 感嘆の「かな」
だとしても、でもという「主観のBut」から、そして、次にという「客観視点のAnd(因果関係の叙述)」
But→And
6つの翻訳ポイント再掲
最初のポイントは「英語構造の日本語」に翻訳すること。
どんどん分解し、英語の基本構文SVOにはめ込んでいきます。
具体的には下記の6つ。
- 日本語構造の日本語を把握する
- 英語構造の日本語に組み替える
- 英語構造の英語に翻訳する
- SVO構文を再現する
- 時制の明示(過去・現在・未来)
- 因果関係の前置詞(そして、でも、だから)の明示
これらのプロセスを踏んで百人一首を現代日本語に組み替え、現代英語に翻訳しました。
今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
作者:素性法師
‘I’ll be coming to see you soon,’ you said.
So I waited for you until the dawn sky appeared on a late autumn night in September.
The moon had been floating.
And you were not there.