「豆まきして、おなかの中の悪い鬼を外に追い出すねん」
「ほいくえんにな、あかおにと、きいおにと、みどりおにがきてんで」
と息子。
「そうなんや。それは怖かったなあ」
首を縦に振る2才の息子
「こわかった」
「おにーのぱんつはいいぱんつう つよいぞお つよいぞお」
と歌い始める6才の娘。
つられて一緒に歌う息子。
それは節分を1日すぎた2月4日。
子どもたち2人とぼくは、お風呂に入っていました。
「豆まきしたかったなあ。豆まきして、おなかの中の悪い鬼を外に追い出すねん」
と娘。
「豆まきって実際何をすんの?豆の箱をひとりひとり持ってんの?1回で何粒くらい投げるの?」
とぼく。
「あんなあ、児童館ではなあ、紙袋を持ってる子もいるけど、わたしは袋は持たんと、1粒ずつなげんねん」
「へー、そうなんや」
「どこをねらって投げるの?」
「うんとなあ、顔の方に向かってなげんねん」
「へー」
そこで、ぼくは言いました。
「おとうさん、今日、豆を買ってきたし、これから豆まきしようか。」
目を丸くして驚く2人。
「うん。わかった!」
「だから、全部やることやってな。服着て、歯磨きして、明日の準備して、掃除して」
とぼく。
「わかった!」
と2人。
あきらめる妻。掃除する夫
「もういいやん、児童館でも保育園でもやったんやろ。どこでやんの?」
と妻。
「でもおとうさんが、やるっていったもん」
と娘。
「ずっと家で豆まきしたいって言ってたんです。思い出になるからやらせて上げてください。掃除もするから」
と疲れた妻を説得するぼく。
妻はあきらめて、お風呂に入りに行きました。
と言ったものの、準備がひと仕事。
寝室に布団を敷いて、リビングの洗濯物を全部たたんで、床をきれいに掃除します。2才の息子には、おもちゃを別の部屋に移動してもらいます。6才の娘には、明日の小学校の準備と、机の上の整理。
2人とも歯を磨きます。
ぼくはその間に台所の洗い物も、ある程度きれいにして。
初めての豆まきと3人の鬼。床じゅうに散らかる豆
「よーし。やるか!」
とぼく。
「おとうさんは怖くしんといてな。わたしが最初に鬼をやるし」
と娘は言い、寝室へ入り、扉を閉じます。
息子とぼくは、プラスチックの小さな容器に入れた豆をそれぞれ持って、待機します。
息子は怖がって、顔を隠し始めます。
静かな家の中。
突然、寝室の扉が開き、鬼の面をかぶった娘が現れます。
「どしん、どしん、鬼だぞおー。どしん」
急に立ち上がる息子。
プラスチックの小さな容器に入れた豆をつかみ、勇敢に鬼の方へ。
「おにわあそと、ふくわあうちい!」
息子はどんどん豆を投げます。
床じゅうに散らかる豆。
「鬼だぞお、鬼だぞお」
と向かってくる娘。
息子の豆がなくなりました。
「はい。おしまい」
とぼく。
「ええ。もう終わり!」
と娘。
「みんなで交代。2回づつやろうか」
とぼく。
「おかあさんは?」
と娘。
「ちょっと聞いてきてくれる?」
とぼく。
「おかあさんはやらへんって。おかあさんの分もやっといてって」
お風呂場から帰ってきた娘が言います。
次は、息子の番。
突然開く扉。鬼の面をかぶった息子の登場
「おにだぞお!おにだぞお!」
興奮した表情で豆を投げる娘。
「鬼は外!福は内!鬼は外!福は内!」
「どしん、どしん」
自信に満ちて歩く息子。
そして、ぼくの番。
「おとうさんは怖くしんといてな!」
念を押す娘。
ぼくは鬼の面をかぶり、たっぷりと時間をとって、扉を開けます。
「鬼だぞお!鬼だぞお!」
「おにはあそとお、ふくはあうちい!おにはあそとお!ふくはあうちい!」
「いたい!いたい!いたい!」
ぼくはカーテンの中に逃げ込みます。
あと、娘と息子が1回ずつ、鬼になり、豆をまく。
そのようにして、ぼくの家の初めての豆まきは終わりました。
それは、ただの豆まき。
2人が豆を食べている間、ぼくは床を掃除しました。
「この豆、おいしい!」
と娘
「まめおいしい!」
と息子。
ぽりぽり、ぽりぽり。
床に散らばった豆。カーテンの下、机の下、キッチン周辺、本棚の下。
ふと子どもたちを見ると、息子の目はゆるみ、今にも眠りそうです。
「たのしかったか?」
「うん、たのしかった」
と娘。
「たのしかった」
と息子。
それは、ただの豆まきです。
でもそれは、ただの豆まきではないことをぼくは知っています。
少なくともぼくにとっては。
意志的に、長期的で段階的な自己受容のプロセスを経過してきた実感。
だからぼくは、その当たり前のことを、彼らに渡すことができた。
誰かにとっては簡単にできること。
でもそれは、別の誰かにとっては、決して簡単ではない。
そのことをずっと憶えていようと思う。