「これあげるよ」
2才年上の兄が、ぼくにかっこいい革靴をくれた。
「おしゃれは靴からだよ」
と兄は言った。
当時、ぼくは高校1年生。
「少しくらい着ている服がよくなくても、靴がよかったらなんとかよく見える」
それ以来、ぼくは靴を中心に服を選ぶようになった。街を歩いているとき、はいている靴をよく見るようになった。靴を手入れすることも好きになった。汚れをとり、油を与え、コーティングし、磨く。雨が降った日の革靴は、新聞紙を入れて日陰で乾かす。靴の手入れができているかできていないかで、生活の乱れが分かった。
それは、小さい靴屋だった。店内は、店長と奥さんの二人きり。あまりしゃべらなくてもよかったし、いつでも出ることができた。ぼくはその店で、何足か革靴を購入していた。
「これ、はかせてもらっていいですか?」
とぼくが言うと
「はい、どうぞ。これはナポリで作られた靴です。最後の一足なので、もし、お客さまのサイズにピッタリだったら、シンデレラサイズですね」
その靴屋の店長さんは言った。
その靴は少し大きかった。でも、その靴が気に入ってしまった。
ナポリ製の靴を長い時間はいていると、かかとの皮がむけてしまう。大きくて、重い。それでもぼくは、その靴を好きだ。なぜかはわからない。
あれから一カ月。ぼくはその靴をはいて出勤し、休日のおしゃれを楽しみ、近くのコンビニに行くようになった。ナポリ製の靴をはいていると、外国に旅行に出かけたときの感覚を思い出す。
10年以上前、ぼくは17時間移動する長距離バスに乗り、アルゼンチンとチリの国境にある、アンデス山脈を越えた。その場所に動物は見当たらなかった。アンデス山脈は大きくて、二階建ての立派なバスはとても小さく感じられた。
ぼくは、とても汚れた靴をはいていた。そこは、よい靴をはいているというだけで、襲われる危険性がある場所だったから。
17時間のバス移動の中で、ぼくはぼーっとテレビを眺めていた。
テレビではアメリカのアクション映画が放送されていた。画面の中の男たち、自分の手と足を使って、器用に殴り合っていた。窓の外を見ると、山の上の空に、熱くてまっしろな太陽が浮かんでいた。
その瞬間、鳥が太陽の前を横切り、空が広がった。
ナポリ製の靴を履くと、いつでも好きなところに行ける、と感じる。
毎日、同じ電車にのって、同じ道を歩いていても、それは少しずつ違う道になっている。
ぼくは、自分が行きたかったところを歩いている。
そうでなかったら、アルゼンチンの記憶を、こんなにも鮮明に思い出せないじゃないか。