スペイン語を日本語に翻訳するプロセスは具体的にどのように進むのか?
スペイン語の構造はどうなっているのか?
それが分かれば、日本語に翻訳されることでこぼれ落ちるイメージはたくさんあることが分かります。
また、スペイン語の構造が分かり、スペイン語の立体的なイメージを体験することができます。
今回は「現代スペイン語の詩を日本語に翻訳するプロセス」を細かく言語化します。
全1万字を超える記事です。
ご興味のある方はご覧ください。
題材は、アルゼンチンの作家、フリオ・コルタサルの詩「Después de las fiestas(いくつもの祭りのあとで)」。翻訳に使用するツール(辞書、文法書、オンライン辞書、オンライン翻訳)も紹介します。
ポイントは
- 辞書は「その単語が指し示す映像的イメージ」を掴むために使う
- 「映像的なイメージ空間」に入れない限り翻訳はできない
- 詩の最後に「不明確な夜の時間の縁にいた2人」はどのように新しい朝を迎えたかが分かる
です。
翻訳に使用するツール(辞書、文法書、オンライン辞書、オンライン翻訳)
今回は、下記のツールを使用してフリオ・コルタサルのスペイン語の詩を日本語に翻訳しました。
用途としては、辞書をメインで使い、文法書で構造を確認し、オンライン辞書で簡易的に確認します。
オンライン翻訳は、補足として時々「最大公約数的にそれぞれの単語がどのように翻訳されるのか」を確認するために使います。
辞書
西和中辞典[第2版] 小学館
現代スペイン語辞典(改定版) 白水社
DICCIONARIO DE LA LENGUA ESPAÑOLA VIGÉSIMA SEGUNGA EDICIÓN(a/g) ESPASA
DICCIONARIO DE LA LENGUA ESPAÑOLA VIGÉSIMA SEGUNGA EDICIÓN(h/z) ESPASA
CLAVE DICCIONARIO DE USO DEL ESPAÑOL ACTUAL SM
文法書
白水社 中級スペイン文法
オンライン辞書
Coliins DICTIONARY
REAL ACADEMIA ESPAÑOLA
オンライン翻訳
DeepL
Google 翻訳
Weblio 翻訳
フリオ・コルタサルの詩の翻訳(全文):Después de las fiestas
まずは、フリオ・コルタサルのスペイン語の詩を現代日本語に翻訳した全文を紹介します。
いくつもの祭りのあとで
そのようにして、みんなが帰り、私たち2人が残った。
空のグラスと、汚れた灰皿に囲まれて。
まるで静かな場所にいるみたいに、あなたがそこに存在していたことを知るのは美しかった。
私と2人だけで。
夜の縁で。
あなたは、ずっとそこにいた。
あなたは、時間以上の存在だった。
あなたは、帰らなかった。
なぜなら、同じ枕と同じ暖かさが、私たちをもう一度目覚めさせていたから。
新しい日に。
一緒に。
笑いながら。
乱れた髪のままで。
Después de las fiestas
Y cuando todo el mundo se iba y nos quedábamos los dos entre vasos vacíos y ceniceros sucios, qué hermoso era saber que estabas ahí como un remanso, sola conmigo al borde de la noche, y que durabas, eras más que el tiempo, eras la que no se iba porque una misma almohada y una misma tibieza iba a llamarnos otra vez a despertar al nuevo día, juntos, riendo, despeinados.
引用:6 Poemas de Julio Cortázar que te harán enamorarte de nuevo.
詩の構造を4つに分解。映像的イメージを膨らませる
まずは、フリオ・コルタサルの詩「Después de las fiestas」を4つのイメージで捉えなおします。
この詩は、俯瞰する状況説明から始まり(1.状況説明)、話者は感情を表出し(2.話者の感情)、話者の対象者についてを描写し(3.話者の対象者についての記述)、そうなった理由が述べられる(4.理由の提示と2人の描写)。
そういう構成の詩です。
1.状況説明
→Y cuando todo el mundo se iba y nos quedábamos los dos entre vasos vacíos y ceniceros sucios,
2.話者の感情
→qué hermoso era saber que estabas ahí como un remanso, sola conmigo al borde de la noche,
3.話者の対象者についての記述
→y que durabas, eras más que el tiempo, eras la que no se iba
4.理由の提示と2人の描写
→porque una misma almohada y una misma tibieza iba a llamarnos otra vez a despertar al nuevo día, juntos, riendo, despeinados.
タイトル「Después de las fiestas」は「単数の祭り」ではなく「複数の特定できる祭り」
フリオ・コルタサルが作ったスペイン語の詩「Después de las fiestas」というタイトル。
これを分解すると
Después:時間の副詞(~のあとで)
de:前置詞(~の)後続の単語を親子関係の「子」として結び付ける
las fiestas:複数の具体性のある名詞「祭り」 ※少なくとも話者にとってはこれらの複数の祭りは具体的。全く抽象的ではない。
つまり、冒頭の詩のタイトル「Después de las fiestas(いくつもの祭りのあとで)」
ここには、少なくとも話者にとっては具体的な複数の祭りは、もしかしたら我々読者にとっても、身の覚えのある祭りかもしれないことが暗示されています。
さらには「比喩としてのこれまでの人類の祭り」である可能性を開いたままのタイトルであることを読むことができます。
これをぼくは「いくつもの祭りのあとで」と日本語化しました。
単純に「祭りの後で」とすることも考えましたが、そうすると「話者にとっては特定できるの複数の祭り」という感触が抜け落ちる。
その感触を活かすことを優先しました。
そのようにして、フリオ・コルタサルはこの詩を開始します。
冒頭最初の単語が接続語の「y」。機械的に直訳しない。「時間的前後関係・結果」のイメージ
この詩は、y(イ)からはじまります。
y(イ)とは「時間的前後関係・結果」を表す接続詞。
日常的に非常によく使われます。
これを「そして」と翻訳すると、急に堅苦しい翻訳文になります。なぜなら「そして」「そして」「そして」なんて、通常の文章で使ったら、気になって読みにくいし、通常の会話でも「そして」を連呼することはまずないから。
最終的にぼくは冒頭の接続詞「y(イ)」を「そのようにして」と日本語化します。
ここからしばらく、接続詞「y(イ)」を「そのようにして」と日本語化するに至ったプロセスを記述します。
最初に「y(イ)という音」を「そしてという意味」に結び付けることを諦めます。そうではなく「y(イ)という音」を「時間的前後関係」「時間的結果」という映像の時間概念に結び付けます。
接続詞「y(イ)」の意味を辞書「西和中辞典[第2版](小学館)」で調べる
自分の中の「y(イ)」のイメージを豊かにするため、辞書「西和中辞典[第2版](小学館)」を開きます。
すると、「y(イ)」には6つの意味があります。
1. 語句・文字の並列:①~と、そして ②(時間的前後関係・結果)そして、それから、だから
2. 加算:足す
3. 反意:それなのに
4. 命令+…しなさい:そうすれば
5. 文頭で:①驚き・怒り ②話題の導入:それで、ところで
6. 同じ語句をつないで反復
引用:西和中辞典[第2版] 小学館
ここから「そしてという意味」を持ってくる、ことはしません。
そうではなく、映像的イメージに入っていきます。
イメージを抽出するプロセスです。
「映像的なイメージ空間」翻訳の肝であり、言語の要
イメージを抽出したあと、どうするのか?
ここにぼくはずっと悩んできました。19才で大学に入学し、スペイン語スペイン文学科で外国語学習に没頭しました。授業の参加はほどほどにして、自宅でひとり7つの外国語辞書を読み、写しました。
1日7時間~10時間。
でも、なんのイメージも浮かびませんでした。
ここがぼくの翻訳の出発点です。
なにもイメージできない抽象的で概念的な「無機質空間」。19才で高校を卒業した時点で、ぼくは記憶のほとんどを想起できず、映像的イメージもできない人になっていたからです。
※詳細はこちら:翻訳を通して記憶と言葉を再統合するに至った経緯(プロフィールとコンセプトについて)
結論を言うと、「映像的なイメージ空間」に入れない限り、翻訳はできません。「映像的イメージの空間」こそが翻訳の肝であり、言語の要です。
「y(そして)」のイメージは?「時間的前後関係とその結果」の展開
接続詞の「y(そして)」というイメージを抽出するとはどういうことでしょう?
それは、「時間的前後関係とその結果」の世界が展開することを準備する、ということです。フリオ・コルタサルのこの詩「Después de las fiestas(デスプエス デ ラス フィエスタス)」は、詩の冒頭に「y(接続詞:そして)」があります。そこには、接続されるべき世界が前述してあるはずです。
ですが、そこには何もありません。
何もない冒頭に接続されることで、それは「ひとり一人の読み手の世界」にダイレクトに接続される可能性を開きます。
そこでぼくは冒頭の接続詞「y」を「そのようにして」と日本語化します。
cuando(クアンド:出来事をの状況をくくる接続詞)を聞いたときにイメージすること
接続詞のcuandoはよく「~のとき」と日本語訳されます。
さらにcuandoを「映像的イメージの空間」で捉えるため、辞書を引きます。辞書は「言語的の適切な意味を探す」というより「その単語が指し示す映像的イメージ」を掴むために使います。
1. 時間
①+直接法(すでに実現された事柄や習慣を表す副詞句節を導いて):~するとき、~したとき
②+間接法(未実現の事柄を表す副詞節を導いて):~するときには、~したら2. 条件
①+接続法:もし~すれば、もし~したら3. 譲歩
①+直接法:だけれども
②+接続法:たとえ~だとしても4. 理由
①+直接法:~なのだから
引用:西和中辞典[第2版] 小学館
ここで捉えることは、
「cuando(クアンド)」はそれ以下に続く「文章の状況をひとまとめにくくる」ということです。
前述のフリオ・コルタサルの例で言うと
Y [cuando] → [todo el mundo se iba] y …
そして、みんなが帰り、私たち2人が残った。
「cuando(クアンド)」は、それ以下に続く「todo el mundo se iba」を覆います。
さらに言うと「cuando(クアンド)とそれ以下に従属する文章」はメインの文章ではありません。
だから「cuando(クアンド)」を聞いた瞬間に、
「あっ、このcuando文の後に、メインの文章が来るな」
「ということは、このcuando文はメインの文章の状況を説明するためのものだな」
「メインの文章に登場する主語と動詞がアクションを起こす舞台について、状況をイメージしておこう」
ということを反射的に準備します。
ほとんど肉体反射として。
cuandoは、メインの文章が活動する舞台を準備してくれるのです。
Y cuando todo el mundo se iba,…
そして、みんなが帰り、…
→直訳:時間が経過して、みんなが帰った時…
の後に、
y(イ):(そして:時間的前後関係・結果→文字化しない)
nos quedábamos los dos:私たち2人が残った。
と続きます。
冒頭の文で3つの時間経過が表現される
つまりこの詩の冒頭の文(Y cuando todo el mundo se iba y nos quedábamos los dos…)で3つの時間経過が表現されています。
①[Y] ② [cuando] todo el mundo se iba ③ [y] nos quedábamos los dos…
①[Y(イ)]時間が経過して…(そのようにして)
②[cuando(クアンド)]みんなが帰った時
③[y(イ)]時間的前後関係とその結果→nos quedábamos los dos:私たち2人が残った。
→そのようにして、みんなが帰り、私たち2人が残った。
日本語翻訳文「そのようにして、みんなが帰り、私たち2人が残った。」には、それだけのイメージが含まれています。
メインの主語と動詞の登場。どのような世界に私たち2人が残ったのか?
ここまでを振り返ります。
Y (イ):そのようにして(時間的前後関係・結果)
cuando(クアンド):~のとき(出来事をの状況をくくる接続詞)→文字化しない
todo el mundo(トード エル ムンド):みんなが
se iba(セ イーバ):帰った。
y(イ):そして(時間的前後関係・結果)→文字化しない
nos quedábamos los dos:私たち2人が残った。
ここまできて、世界に具体性が与えられます。
私たち2人が残った。
どのような世界に「私たち2人が残った」のか?
そこには何が見えるのか?
そこには、テーブルの風景が描写されます。
フリオ・コルタサルはここから「残された2人がいる世界」を具体的に描写していく
残された2人がいる世界の最初の描写は、彼らの周囲にある、テーブルの風景です。
entre vasos vacíos y ceniceros sucios(空のグラスと、汚れた灰皿の間に)
entre(エントゥレ:場所と時間の前置詞):~の間に、~の中に(私たち2人が残った場所)
vasos vacíos(ヴァソス バスィーオス:複数名詞+形容詞):空のグラス(不定冠詞のため、無数のたくさんの空のグラスがイメージされる)
y(イ):そして(並列のy。二つの名詞を同列で並べる)
ceniceros sucios(セニセーロス スースィオス:複数名詞+形容詞):汚れたタバコの灰皿(こちらも不定冠詞のため、無数のたくさんの汚れたタバコの灰皿がイメージされる)
不定冠詞の複数名詞が2つ並列されることで(vasos vacíos y ceniceros sucios:空のグラスと、汚れた灰皿)、大勢の人々が祝い、語り合い、賑やかだった空間に2人は取り残されていることが描かれます。
「残された2人がいる世界」は架空の静かな場所。コアイメージは「remanso(レマンソ)」
qué hermoso era saber que estabas ahí como un remanso,(まるで静かな場所にいるみたいに、あなたがそこに存在していたことを知るのは美しかった。)
sola conmigo al borde de la noche,(私と2人だけで。夜の縁で。)
上記の文章でコアになるイメージは「remanso(レマンソ)」です。
remanso(レマンソ)のコアイメージは
・よどみ
・流れの緩い場所
・静かな場所
・何かを楽しむ場所
です。
単語「remanso(レマンソ)」をREAL ACADEMIA ASPAÑOLAとCLAVE DICCIONARIO DE USO DEL ESPAÑOL ACTUALで調べる
WebのREAL ACADEMIA ASPAÑOLAで、スペイン語の単語「remanso(レマンソ)」を調べます。
remanso(レマンソ)
1. m. Acción y efecto de remansarse.(落ち着きと静けさを取り戻す効果や動き)
2. m. Lugar en que ocurre un remanso.(落ち着きと静けさが発生する場所)
3. m. Lugar o situación en que se disfruta de algo.(何かを楽しむ状況や場所)
引用:REAL ACADEMIA ASPAÑOLA
remansar(レマンサール)
1. tr. Hacer que algo se apacigüe o aquiete.(落ち着きと静けさを取り戻す)
2. tr. prnl. Dicho de la corriente de un líquido: Aquietarse o hacerse más lenta.(液体の流れの言葉:静かにする。速度を落とす)
3. tr. prnl. Dicho de algo que implica movimiento o agitación(攪拌や動きを意味すること): Hacerse más lento.(速度を落とす)
引用:REAL ACADEMIA ASPAÑOLA
また辞書「CLAVE DICCIONARIO DE USO DEL ESPAÑOL ACTUAL(SM)」でremansarseを調べると、
Referido a una corriente de agua, detenerse, susupenderse, o correr muy lentamente.
(水の流れと関連する。停止する、止まる、あるいはとてもゆっくり流れる)
と説明されます。
つまり、remanso(レマンソ)は水の流れを想起させる「静かな場所」というイメージに落ち着きます。
感嘆のquéから始まることで、話者は自己の感情を表現する
感嘆のquéから始まることで、話者(あるいはフリオ・コルタサル)が自己の感情を表現することを示しています。
qué hermoso era saber que estabas ahí como un remanso,(まるで静かな場所にいるみたいに、あなたがそこに存在していたことを知るのは美しかった。)
感嘆のqué(なんと何でしょう):感嘆詞
hermoso(ヘルモッソ:美しい):形容詞
era(エラ:であった):存在の動詞serの線過去形。3人称単数
saber(サベール:知る):動詞の原形(不定詞)
qué hermoso era saber que…
→「que以下」を知るのはなんと美しかったことか!
「que以下」とは…
qué hermoso era saber [que estabas ahí como un remanso],
→まるで静かな場所にいるみたいに、あなたがそこに存在していたこと
estabas(エスターバス:あなたがそこにいた):動詞serの線過去。2人称単数。
ahí(アイ:そこに、そこで、そこへ):場所の副詞。話し手から少し離れた場所
como(コモ:~のように):比喩・例示を表す副詞。
un remanso(ウン レマンソ:静かな場所):名詞。不定冠詞。話者にとってはぼんやりしたイメージの比喩として持ち出されている。
sola conmigo al borde de la noche:状況と場所と時間の副詞を追加。一気に2人を描き切る
話者(フリオ・コルタサル)はここから一気に、2人の状況を描き切ります。
sola conmigo al borde de la noche,(私と2人だけで。夜の縁で。)
sola(ソラ:ひとりの、ひとつの):形容詞。あなた(女性)を修飾
conmigo(コンミーゴ:私と一緒に):人称代名詞。前置詞conと代名詞míの結合形
al borde(アル ボルデ:縁で):a(ァ)という前置詞と、el(エル)という男性定冠詞と、borde(ボルデ:縁)
de la noche(デ ラ ノーチェ:夜に):時間の副詞
ここで注目するのは、場所を示す名詞el borde(エル ボルデ)です。
なぜなら、名詞el borde(エル ボルデ)は岸、沿岸というイメージや、船の絃というイメージも含んでいるから。
1.縁、へり、端
2.(海、川などの)岸、海岸
3.(船の)絃(げん)、船べり
※船の絃(船の側面)
もしかしたら彼ら2人は本当に、海岸やその船の絃にいたのかもしれません。
ですが「al borde de la noche」のnoche(夜)が、bordeを説明しています。
彼らは「夜という名の縁」にたった2人でいるのです。
でもそこに「イメージとしての水」の存在を感じることができます。
あなたについての描写。線過去と点過去。過去の不明確な時間に継続した関係性
ここでは話者にとっての「あなた」の描写が続きます。
y que durabas,(あなたは、ずっとそこにいた。)
eras más que el tiempo,(あなたは、時間以上の存在だった。)
eras la que no se iba(あなたは、帰らなかった。)
動詞はそれぞれ
durabas(ドゥラーバス:ずっといる):不定詞durar
eras(エラス:習慣的にいた、過去の継続的な状況):不定詞ser
se iba(セ イーバ:去る、帰る):irse不定詞
です。
全てが点過去(過去に発生し完了した出来事)ではなく、線過去(過去の習慣的行為、過去の時間を伴わない人物描写)であることが大きな特徴です。
もし、点過去(過去に発生し完了した出来事)であれば
duraste(ドゥラステ:ある過去の時点でずっといた)
fuiste(フイステ:ある過去の時点でいた)
se fue(セ フエ:ある過去の時点で去った、帰った)
としていたはずです。
なぜでしょう?
祭りの後という、ある時間を指定しているにもかかわらず、線過去を使っている。
おそらく話者(フリオ・コルタサル)は、このことにより「2人は過去の不明確な時間に継続した関係性」であることを明示しようとしている。
これがぼくの仮説です。
詩の最後は「porque(なぜなら:理由)」で始まり、副詞と形容詞で終わっていく
最後のセンテンスです。ここでも「iba a llamarnos(イーバ ア ジャマールノス:呼び起こす)」は、線過去(過去の習慣的行為、過去の時間を伴わない人物描写)が使用されています。
porque(なぜなら)
una misma almohada y una misma tibieza iba a llamarnos otra vez a despertar(同じ枕と同じ暖かさが、私たちをもう一度目覚めさていたから。)
al nuevo día,(新しい日に。)
juntos(フントス:一緒に)形容詞
riendo,(リエンド:笑いながら)現在分詞
despeinados.(デスペイナードス:乱れた髪のままで)現在分詞
そして、下記のように意訳します。過去の2人の一定の時間を表すために。
despeinados(髪を乱した)
↓
despeinados.(髪を見出したままで。)
↓
despeinados.(乱れた髪のままで。)
動詞despeinar(デスペイナール:髪を乱す)の現在分詞「despeinados(髪を乱した)」が形容詞化されて、この詩は終わります。
despeinados(デスペイナードス:乱れた髪のままで)が最後になることで、「不明確な夜の時間の縁にいた2人」が「どのようにして新しい朝を迎えたのか」が描かれます。
翻訳の中心に置くもの
フリオ・コルタサルは、詩の中で空間を深め、時間を広げます。そのような詩を日本語に翻訳するにあたって、中心に置くもの。
それは「解像度の高い映像イメージ」です。
間違ってもいい。むしろここでは間違いが土台となり、道となる。想像し、調べ、再び想像する。そうやって映像イメージの解像度を上げていきます。
言葉の翻訳の中心にはいつも言葉はありません。
イメージや感情や信念が、非言語の形で呼吸しています。
中心にあるイメージを、別々の出口(別々の言語)に合わせて形にします。何度も何度も「イメージと言語」の間を往復します。すると、あるタイミングで少しだけ上達する瞬間を迎えます。
そしてぼくは、世界に少し近づいた感覚になり、充足感を覚えます。