
中学2年生の兄は筆を切って絵を描き始める
「えっ、お兄ちゃん、何してんの?」
「ああこれ?ここを切ったら、思ったように色を付けられるから」
中学2年生の兄は、水彩画用の筆の先をハサミで切りました。
短くなった筆は絵具を含み、画用紙の上にカラフルな点描を生みました。
神社のそばの草むらの影に美しく馴染んでいきました。まるでそこから猫が現れそうな草むら。最初からそこにあったような深い影。
ぼくは言葉を失いました。
そして、絵を描く気力がしぼんでいくのを感じました。
小学5年生のぼくは、兄の発想と技術とセンスに圧倒されました。
世界中にはこんな人たちがたくさんいるのか。
兄の延長線上に世界中の画家たちを想像し、ぼくは自分の絵をを他人と比較するようになりました。
絵を描けなかった10年間
それから10年くらい、絵を描けませんでした。
いろいろなことが起こり、そのたびに失敗しました。
ぼくはひとつひとつ後退しました。
要請・転職・隣人(アルゼンチンから帰国した男の転職史。2007-2018年)
絵を描くことを再開したときに決めた7つのポイント
19才。大学に通い始め、ぼくは再び絵を描き始めました。
それは100%自分のためでした。
もっと言うと、自分が回復するため。
当時のぼくは記憶が思い出せなくなったり、言語による理解力がどんどん弱くなって、それは日常で無視できないほど、現実の生活に支障を及ぼすようになっていました。
ぼくは7ヶ国語を独学で学習しながら、ふたたび絵を描き始めました。
大学に行かない日は、10時間以上外国語の勉強をしていました。
外国語学習に疲れると、絵を描きました。
自分が好きな写真を見ながら、自分の好きなように。誰に見せるわけでもなく。

19歳。絵を描くことを再開したときに描いたイラスト

この反復はずっと続けられる、と思いました。
もっと言うと
この反復は自分にとってとても大切である
ということを実感し、理解しました。
その瞬間から、あらゆることからこの行為の意味と価値を守ることを開始しました。
その時のぼくは、ふつうに2カ月以上誰とも話さないような生活を送っていました。
でも、絵を描いている時だけは自分自身の中にいる感覚がありました。
それは、本当に貴重な感覚でした。
依って立つべき感覚が自分の中に感じられること。
そうは言っても、ぼくは絵を量産するような描き方はできません。
描くスキルを体系的に覚える考えもありません。
それから20年間、ぼくが「絵を描くこと」へ維持してきたこと。
それは
- 「商業」と結びつけない
- 「描きたいとき」にだけ描く
- 「描きたい気持ち」を最大化するために、それ以外の要素をひとつひとつ取り除く
- 「他人との比較」や「自己卑下」から離れたところを見つけて「描くことと時間」を積み重ねる
- 「絵を描くこと」を続ける
- 「対外的な結果」を求めない
- 「上手さ」を求めない
ということ。
自分にとっての一義的な価値と意味を保持しながら継続すること。
そのルールの中でぼくは20代を過ごしました。
30代の終わり。人生の定規として絵を描くこと
そのようにして30代がやってきました。
いろいろなことが驚く間もなく次々と起こりました。
その中でもぼくは「人生の定規として絵を描くこと」を続けてきました。

今年(2019年)の5月、ゴールデンウィークにペンタブレットを買いました。
家に帰り、妻も子もいないリビングルーム。ぼくはひとりノートパソコンに線を引きました。
曲線
削除
透過
ペンの太さ
#411c11
塗り
PNG保存
ほぼ40年近くペンや鉛筆で絵を描いてきました。
そして最近ペンタブレットで絵を描きはじめました。

自分自身に対する充実感と深い喜び。
価値観を保ち続けてきたこと。
そのことに誇りを感じられること。
絵を描く背景にあるもの。
それを想像しながら他者の絵を見ることができるようになったこと。
実はそれこそが、絵を描き続けることの実用的な側面だと思います。
とても遠回りの。