大切な人との出会い。それを言ったらウソになるから言えないこと

2008年、夏。
小さなお好み焼き屋のテーブル席。
知り合って数か月の同僚が3人。

 

そのなかの一人、
洋裁教室の先生がこう言いました。

「大学では落研にいました……」

そして、顔を真っ赤にしました。

ぼくと、もう一人の同僚は、目を見合わせ笑いました。

どうしてかというと、その女性は
職場ではいつも落ち着いていて、誰とでも少し離れた関係を作る、厳しい先生だったから。

その「洋裁教室の先生」が、のちにぼくと結婚し、2人の子どもを生むことになる人だとは知らずに。

 

そんなことになるとは、全く想像できませんでした。

 

なぜなら、当時28才のぼくは、
「人生で結婚することはない」
と割り切っていたからです。

 

なぜそう考えていたのでしょう?

 

それはぼくの人生が
まるで「ジェットコースターのような人生」
だったから。

 

父の力が強い家庭で、ぼくは育ちました。

生まれる前から

「勉強でも運動でも、絶対一番になれ」
「絶対会社を継げ」

と言われ続けて育ちました。

 

ぼくは6才から「摂食障害」になり
小学4年~5年生の時に1年間休学します。

そのあとも卒業まで「登校拒否」の繰り返し。

中学校では、3年の3学期はほとんど休み、努力して入学した高校も、7日で退学しました。

なぜ?

家庭の外でも、すべての教育機関で、班長、生徒会長、運動部の部長などの組織長に推薦されました。
そして、そのすべての役職で「自分の能力以上を出して燃え尽きる」というサイクルを繰り返してきたのです。

限界でした。

ぼくは言語障害になります。

その後1年間、家に引きこもり、ひたすら本を読みました。
他県の全寮制の高校に入ることを決め、勉強し、入学。

16才で実家を出ます。

高校でぼくは
「両親の会社を継ぐ」という自分の決意を取り消します。
両親の口は開いていました。

そして、ある大学のスペイン文学科に入学します。
必要最小限の出席日数を確保すると、大学の授業を休みました。

残りは古いアパートの一室で、1日10時間以上7か国語の独学に没頭しました。

それは大学4年生のときのこと。
両親の会社にコンサルティング会社の社長が現れます。
彼は、ぼくとぼくの母の心をつかむと、数千万円のコンサル費用を手に入れ、姿を消します。

有名な詐欺師でした。

その数か月のあいだに、姉が結婚。
姉の夫が婿養子として会社を継ぐことに決まります。

そのようにして
「22年間の全人生を捧げてきたテーマ」が
あっけなく、消えます。

もう疲れ切ってしまった。

もう僕の中からは何も出ない。

文字通り空っぽだ。

様々な現場の表舞台でぼくは「燃え尽きては立ち上がる」ことを繰り返してきました。

 

大学を卒業したぼくは、1年間アルバイトを行い、アルゼンチンに向かいます。

そこで2年半、スペイン語、英語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語の基礎を学び、帰国しました。

2007年、帰国。

2008年、春。

「洋裁教室とカフェの飲食店」で働いていたとき「洋裁教室の厳しい先生」に出会います。

2008年、冬。
午後11時。
五条河原町の交差点。

ぼくは「洋裁教室の先生」に言いました。

「好きです。付き合ってください」

3カ月後。
2009年、冬の終わり。
先生から「よろしくお願いします」という答えがかえってきます。

そのようにして、ぼくと先生の付き合いは始まります。
(10年以上たった今も、ぼくたちは敬語で話します)

 

でも「ジェットコースター」はまだ終わっていないことを、ぼくはまだ知りませんでした。

 

その4年後、ぼくは働きすぎてヘルニアになり、それまで属していた飲食業界を撤退します。

おなじ時期、第一子が誕生。

結婚したばかりの夫がヘルニアになり、同時に職を失い、生んだばかりの子どもが泣いているその家で、「洋裁教室の先生」はじっと耐えていました。

 

飲食業界から別の業界に身を置くことになったぼくは、何度も職を変えます。

自分のスキルセットを、ゼロから組み立てなおし、所属する組織に適応させる日々が何年も続きました。

タフな時間でした。

アルゼンチンから帰国して2018年までの11年間(27才から38才の間)、ぼくが所属した会社は、9つ。

1. 新築マンションのリペア会社
2. 芸術家の助手
3. 洋裁カフェ(洋裁教室の先生との出会い)
4. 創作イタリアンカフェ(ヘルニア→飲食業界からの撤退)
5. ホテル内レストランのマネージャー
6. 生鮮食品会社の営業事務
7. アクセサリー製造販売会社の販売員
8. デザイン会社のweb運用
9. バックオフィス企業のweb事業部(2017年の夏~)

「かつての洋裁教室の先生」は今でも、ぼくに対して適度な距離を保ち、支え、根気強く見守っています。

 

おそらくぼくは今も、ジェットコースターに乗っているのでしょう。

そして彼女はずっと外からそれを見ています。

 

その姿勢に、ぼくがどれほど救われてきたか。

 

安易に手を差し伸べるわけでもなく
「わかるよ」と理解を示すわけでもない。

結果に対して「いいですね」とも「よくない」とも判断しない。

ぼくという人間がどんな人なのかをずっと見るだけ。

淡々としたまなざし。

それがなかったら、ぼくはここまでやってこれなかった。

そして、ぼくは自分の人生を定義できなかった。

 

ときに思いを言葉にすることは、驚くほど簡単です。

同時にそれを言ったらウソになるから言えないことが世の中にはたくさんあると、ぼくは感じてきました。

 

でも、今はもうそのときではありません。

 

だからぼくは彼女にこう言います。

 

「一緒にいてくれて、ありがとう」

《終り》