人生の定規として絵を描くこと。その実用的な側面

中学2年生の兄は筆を切って絵を描き始める

「えっ、お兄ちゃん、何してんの?」

「ああこれ?ここを切ったら、思ったように色を付けられるから」

中学2年生の兄は、水彩画用の筆の先をハサミで切りました。

短くなった筆は絵具を含み、画用紙の上にカラフルな点描を生みました。

神社のそばの草むらの影に美しく馴染んでいきました。まるでそこから猫が現れそうな草むら。最初からそこにあったような深い影。

ぼくは言葉を失いました。
そして、絵を描く気力がしぼんでいくのを感じました。

小学5年生のぼくは、兄の発想と技術とセンスに圧倒されました。

世界中にはこんな人たちがたくさんいるのか。

兄の延長線上に世界中の画家たちを想像し、ぼくは自分の絵をを他人と比較するようになりました。

絵を描けなかった10年間

それから10年くらい、絵を描けませんでした。

いろいろなことが起こり、そのたびに失敗しました。
ぼくはひとつひとつ後退します。


絵を描くことを再開するまでの変遷

19才。大学に通い始め、7ヶ国語を独学で学習しながら、再び絵を描き始めました。それは100%自分のためでした。もっと言うと、自分が回復するため。

当時のぼくは、記憶が思い出せなくなっていました。また、言語で(日本語で)物事を理解することができなくなっていました。目に見えないし説明もできないこれらの症状は、もちろん、現実の生活を困難にました。

絵を描くことが、それを緩和する方法でした。
言い換えると、絵を描くことを経由し(言葉を経由することを回避し)、世界を捉え直すこと。

大学に行かない日は、外国語の勉強を10時間以上しました。
誰に言われたわけでもなく、生きるために必要な行為として。

外国語学習に疲れると、絵を描きました。
大学の図書館で借りた本に掲載されている、歴史上の写真や、知らない土地の知らない人々の写真を見ながら。好きなように。誰に見せるわけでもなく。

2000年、イラストを描くことを再開した時のスケッチ
19歳のときのスケッチ。第一次世界大戦中のイギリスの若い詩人たち(2000年)
19才のときに描いたイラスト(キッチンで一人料理する男)
19歳のときのスケッチ。キッチンで料理するイギリス人男性(2000年)

この「言語習得と絵を描くことの反復」は、いつまでも続けることができました。

もっと言うと

この反復は自分にとってとても大切である

ということを実感していました。


その時のぼくは、ふつうに2カ月以上誰とも話さないような生活を送っていました。

でも、絵を描いている時だけは自分自身の中にいる感覚がある。依って立つべき感覚が自分の中に感じられる。それは、貴重な感覚でした。

そうは言っても、ぼくは絵を量産するような描き方はできません。
描くスキルを体系的に覚えることもできないし、もしそれをするなら、大事なものを自分で手放すことになってしまう。

そのときから、この行為の価値を、守ろうと決意します。

絵を描きながら意識してきたこと

それから20年間、以下のことを意識してきました。

  1. 商業と結びつけない
  2. 描きたいときにだけ描く
  3. 「描きたい気持ち」を最大化する
    • そのために、「描きたい気持ち」を阻害する要素を、丁寧に取り除く
  4. 自分の人生を他者と比較しない
    • そもそも、各自の荷物の中身は違うから
  5. 自己卑下しない。できる範囲で
  6. 「絵を描くこと」を続けられる状態を保つ
    • その条件を理解し、再現性を高める
  7. 結果を自分の外部に求めない
    • 自分の内部に根付くものに結果を求める
  8. 「視覚的な上手さ」を第一義に求めない

30代の終わり。人生の定規として絵を描くこと

そのようにして30代がやってきました。
いろいろなことが、驚く間もなく、次々と起こりました。

その中でもぼくは「人生の定規として絵を描くこと」を続けてきました。

38才のときに描いたイラスト(目を閉じる女)
38才のときに描いたイラスト(目を閉じる女)

2019年5月ペンタブレットを買う

ほぼ40年近く、ペンや鉛筆を右手に持ち、白い紙の上に、直接絵を描いてきました。

今年(2019年)の5月、ゴールデンウィークにペンタブレットを買いました。妻も子もいないリビングルーム。ぼくはひとりノートパソコンに線を引きます。

38才の絵(目を閉じる女)

絵を描くことの実用的な側面

自分にとって大事なことを知っていること

いつでも自分の価値観を自覚する手段を持っていること

数十年単位で諦めないこと。その姿勢への深い充実感

一人の人間が絵を描くに至る背景を想像する経路が、内部にあること

それら一連の有機的な働きを育てていること

その営みを誇りに思えること

これらが、絵を描き続けることが人生に提示してくれる実用的な側面です。
絵とは違い、目に見えない側面。

目に見えないからこそ、目に見えることを定義できる(実用的である)。

そう考えています。

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