息子の口癖 (Son’s favorite phrase)

息子の口癖

 
ある晴れた日の日曜日の朝。
私と2才の息子は、2人で動物園に行った。
6才の娘と妻が日帰りのキャンプに出掛けたからだ。

息子はキリンやゴリラやライオンを見て、興奮した。
水面から顔だけ出したカバを見て、水に浮かぶだけのカメを見て、眠る熊を見た。
タンチョウが高い声を上げて鳴いた。

昼になり、2人は売店で買った焼きそばを勢いよく食べた。
動物園を出る前、眠気が訪れる少し前の表情で、息子は呟いた。
「もうすこしどうぶつえんみたかったなあ」
それはとても暑い日で、すでに2人ともすっかり焼けてしまっていた。

それ以来、息子の口癖は
「きりんみたなあ」
になった。

そして、その口癖を聞くたびに、何かを思い出せそうな感覚が私を訪れた。
だが、その感覚はドアをノックしないまま、いつもどこかに行ってしまった。

 
 

こちょこちょ遊び

 

2人の子どもたちは「こちょこちょ遊び」が大好きだ。
脇の下や、足の裏を大人の力で徹底的にくすぐる。
大人が本気を出せば出すほど、子どもたちの感情は瞬時に最高潮に達する。

私はまず、6才の娘を布団の上で捕まえ、怪我のない範囲で全力でくすぐる。
「あははははははっ!」
「やめてっ、もうやめて!おねがい!」
と娘は言う。
私は力を抜き、娘は逃げる。

次は息子。
彼は、自分がもうすぐ父につかまってしまうことを予感している。
両手を前に突き出し、最後の抵抗をする。
私は息子の体をくすぐる。
「あははははははっ!」
「やめてえっ、やめてえっ!」

家中に子どもたちの笑い声が浸透していく。

私は寝転がる息子を捕まえなおし、もう少しくすぐるつもりで息子の目を覗き込む。
すると息子は、興奮した表情を隠しながら
「おとうさん、きりんみたなあ」
と言う。

「ん?」と私。

「ぞうみたなあ」
「らいおんみたなあ」
と息子。

「ん、ああ。見たなあ」
私は少し冷静になり、くすぐることを忘れる。
息子は立ち上がり、私から逃げていく。

その後も、「こちょこちょ遊び」は続いた。
そして、息子の「きりんみたなあ」という言葉が疑問とともに心の片隅に残った。

なぜ彼は「動物園の思い出」をあのタイミングで持ち出したのだろう?

 
 

なぞなぞカード

 

6才の娘は、今年の4月に小学校に入学した。
好奇心の蓋が開き、驚く速さで彼女は自分の世界観を形成していく。
2才の息子は、その姉の姿を一番近くで目の当たりにしている。
彼自身の成長とともに。

ある日、妻と娘が机の上に「なぞなぞカード」を広げて遊んでいた。
息子は隣の部屋で1人、大きな声で歌を歌い、ブロック遊びをしている。

「いやああっ、やめてえ!」
突然泣き出す娘。
「なにすんの!」
怒る妻。

台所で食器を洗っていた私が振り返ると、息子が娘を叩こうとしている。
妻は息子の両手を握り、
「叩いたらあかんやろ!」
と言う。
興奮した表情で妻をじっと見る息子。

私は息子のそばに行き、息子を抱っこする。
「おねえちゃん、いつも遊んでくれるやろ。いやなことがあったんかもしれんけど、叩いたらあかん」

すると息子は泣き始める。
「ぼくもなぞなぞやりたかったのお!」

後ろで妻が、さっき別の遊びで2人は既に喧嘩をしていて、その時、娘が息子を叩いたのだ、と説明してくれた。

「そうか。いっしょになぞなぞしたかったか」
「うん」
「そうかそうか」

私は息子を抱っこして、背中を優しくポンポンと叩く。
彼の気持ちが落ちくように。

娘が泣き止み、息子が静かになった。

息子は、急に背中に力を入れ、起き上がり、私の顔を見て、言った。
「きりんみたなあ、ごりらみたなあ、ぞうみたなあ。あとなにみた?」

まただ。
彼は「記憶の共有」に効果があることを認識している。

 
 

1つの仮説と3つの疑問

 

息子が、私との間に「記憶の共有」を持ち出す工程を、1つの仮説として以下のように区分してみる。

① 身の危険を感じる

② ①を回避しようという判断を採用する

③ 経験の中から回避策を選ぶ

④ 実行

⑤ 効果を記憶する

そして、ここから生まれる疑問は、以下の3つ。

① 「経験の中から回避策を選ぶ」という工程で、彼はなぜ「記憶の共有」という手段を選んだのか?

② そして選ばれた記憶は、どうして「楽しかった記憶」なのか?

③ どうしてその判断を、一瞬で選択することができたのか?

ここまで来て、私はある情景を思い出す。

それは、私が3才の頃の記憶。
古い民家の囲炉裏を囲んで、私の祖母は祖父に対して激しく非難の声を発している。
家の中に彼らの争いを止められる者はいない。

3才の私は、急須にお茶の葉を2杯すくい、お湯を8分目まで淹れる。
2人分の茶碗と茶托をお盆に準備する。

囲炉裏の前では祖父母の口論が継続している。

茶碗にお茶を淹れた私は、ゆっくりとお盆を持って、1人で祖父母の前に行く。
そして、こう言う。
「けんかやめて」

それは、誰に言われたわけでもないし、教わったことでもなかった。

 
 

思い出せそうになったこと

 

2才の息子の口癖「きりんみたなあ」を聞くたびに思い出せそうになったこととは、3才の私の思い出ではなかった。
また、2才の息子と私が似ている、というような類の感覚でもない。

そうではなくそれは、非常事態に「最小権力者」が「最大権力者」に対して、瞬時に「天才的解決策」を発明するという感覚だった。

それは同時に、いつの間にか私の立場が家族という組織の「最大権力者」側に移っているという客観的な事実だった。

いつの間にか、かつて見ていたものの側に私は立っていて、かつて見ていた側には、2年前にこの世に生まれてきたばかりの息子が立っていた。

私は歴史的事実として年を取ったという認識を、2才の息子から与えられた。

 
 

毎朝の洗面所から

 

月曜日、午前6時40分。
「おとうさん、ぶろっくしてあそぼう」
息子は、洗面所で髭剃りをしている私を見上げて言う。

「ちょっと待ってな。髭剃り終わったらな」
とスーツ姿の私は答える。

息子はじっと私を見つめる。

私は、最後に顔を拭くと、息子に右手を差し出す。
息子は私に左手を差し出す。

そして2人は、4メートルほどのブロック遊び場までの距離を、手をつないで歩く。

まだ眠る6才の娘のそばを通る。
朝食と弁当を準備する妻の隣を通る。
何も話さずに。

2人は黙ってブロックで遊び始める。
そして息子が言う。

「きりんみたなあ」
「ほかになにみた?」

≪終わり≫